「おいっ!独眼鉄!このタイトルは何だ⁈」と思う読者も多いだろうが、これにはちゃんと意味がある。それをこれから述べたい。
先日のこのブログでも言ったが今月(2015年7月)筆者はブラインドサッカー(以下ブラサカ)を見に行った。そのブラサカの日本選手権は入場無料だったが、9月に代々木のフットサルコートでやるブラサカアジア選手権は入場は有料だった。
ブラサカのボランティアスタッフに言うとブラサカ自体徐々に競技として認知されつつあり、また障がい者スポーツとしてではなく一般のスポーツとしての認知欲求というのもあって、この大会は入場料を取ることにした、とあった。
その大会のパンフレットも貰ったが、このブラサカアジア選手権というのは色々な意味で、日本代表のジョホールバルの歓喜に似ていると言う事に気付いた。
まずこのアジア選手権と言うのはリオパラリンピックのアジア地区予選も兼ねている。
ブラサカ日本代表はまだパラリンピック出場経験は無い。ただ次の東京パラリンピックには開催国枠での出場は決まっている。
ただ初出場が開催国枠と言うのは締まりが悪いと言う雰囲気がブラサカ日本代表の中にはあった。
その為ブラサカでは是が非でもその前のリオには「実力で」出場し、世界中のブラサカ人に「日本代表は開催国枠なんだから、本当はパラリンピック出場は実力では無いんだ」とは絶対思われたくない。
その為ブラサカ日本代表は何としてでもリオには出場しなくてはならないんだ!とボランティアスタッフのアツい気持ちの入った説明があった。
このシチュエーションを聞いて、ある1つのデジャヴを感じた。そう。ジョホールバルの歓喜である。〈②に続く〉