〈①からの続き〉先程サッカーの試合において、一見すると無駄に思えるようなプレーに実は試合の流れを変える要素があることを述べたがなぜ、このことを今回のテーマにしたかというと今の効率第一主義に筆者自身(サッカーに限らず日本社会全体において)疑問を感じているからだ。
筆者自身仕事をしながらこのブログを書いている身なので、現代社会で生きる人間として効率を考えて生活するのは必須である。
しかしサッカーでもそうだがスポーツでもなんでも物事の価値や魅力、それどころかスポーツで最も重要な勝敗というのも①で言った一見すると効率第一に考えたら無駄かもしれないプレーに秘めていることもある。
最近愛読している雑誌NUMBERで今年W杯があるラグビーで日本代表の選手がエディー・ジョーンズHC(監督)に「グラウンドから出ていけ‼︎」と怒鳴りつけられたという話があった。
エディーHCのカミナリの理由はその選手が100%の力を出せばタックルできて相手のトライを防ぐことが可能だったのに「効率」を優先したことが逆に「怠慢」となってしまったからだ。
その選手は国立大学の医学部に入学できるほどの文武両道のラガーマンで、それ故医者になる為の勉強を確保する為に勉強も練習も効率第一に考える傾向にあった。
…しかし…
ラグビー日本代表が悲願のW杯2勝目を決める為には効率第一だけのプレーには限界がある。世界レベルのラグビーの世界では1%の確率で成功するかもしれないプレーの為に、99%の無駄をいわゆる泥臭い献身的なプレーをやらなければ太刀打ちできない厳しい世界なのである。
エディHCは筆者の好きなサッカーで表現するなら「汗かき役」を厭わない選手でないと世界では勝てないし、それができない選手は最初から使わないと言いたかったかもしれない。
ラグビーを理解していない筆者が知った気になってこういうのもおこがましいが、ラグビーでもサッカーでも一見すると無駄に思えるプレーに勝利が隠されているというのは同じフットボールの世界の共通項かもしれない。