前回は名将野村監督について色々述べたが、凡庸な迷将と一流の名将との野球理論には実はそれ程大きな差がないことは①で述べた。
では野村監督の選手に対するアプローチにはどういう差があるのか?
それは凡庸な迷将は野球の理論という正解を自分の言葉を用いず一方的に命令口調で言うのに対して、野村監督のような一流の名将は正解をいきなり出さずに選手個人に「考えさせて自分で答えを出させる」ところにある。
こうした指導というのは他のスポーツのみならず、一般の勉強にも応用できる指導方法である。
教える側からすれば一方的に自分のペースで命令口調で、言葉のキャッチボールというプロセスを省略した方が圧倒的にラクである。
しかしそうした指導方法で選手がプレーを楽しんで結果を出せるかと言えば、ある一定のところで壁にぶちあたるのがオチである。
一流の指導者というのはそのジャンルにおける理論も備わっているが、それだけではなく選手自身に上達させる為のヒントをいくつか与えて、選手本人に気づかせるいわば「気づかせ屋」の要素もあるのだ。
この気づかせ屋という指導方法は根気も必要だしストレスも溜まる。しかし選手自身に思考のプロセスを作らせて答えを出すことによって、選手自身に思考力や問題解決能力を育てて監督がいないところでも自分で物事の判断力を培って、選手や試合のクオリティを上げる効果もある。
ある女子バレー部の監督が「ミスをしない選手より、ミスをした後でもうろたえない選手を育てる」と言っていたが、どういう競技でもただ教えたことを丸暗記させるだけではなく、ヒントだけ出して思考力を鍛える指導をしないと選手は伸びないのだ。