〈①の続き〉前回は「変わらければ替えられる」という言葉がどういう意味かを説明したが、②ではその言葉がスポーツの世界でどう当てはまるかを述べたい。
この変わらければ替えられるという言葉が一番しっくりくるのが日本のバスケ界という話は前にしたが、具体的にどういうところがそうなのか?
長らく日本のバスケリーグというのはご多聞にもれず昔は実業団リーグだったのが、平成大不況の煽りを受けて次々と名門社会人バスケ部が廃部の憂き目に遭った。
そうした中で遅々としてプロ化が進まない日本のバスケ界に業を煮やした関係者が分裂→独立したのが2005年に出来たbjリーグである。
しかし日本のバスケ界の主流はトップアマのNBLであって、そこから逸脱した形で出来た独立系プロバスケのbjリーグには日本代表クラスの選手はあまり入らなかった。
その上日本国内のバスケリーグがいわゆるダブルスタンダードという形でピラミッド型ではないいびつな図式になったことにより、リーグ王者でも日本一にはならないことから国内の関心はほとんどなかった。
こうした誰の目にも問題があるのは明らかなのに、日本のバスケ界の特権的エリートの人間は「ずっとこのままでいいんだ」「ピラミッド型した日本バスケ界のプロ化なんかよりバスケ界の特権的エリートの面子の方が重要なんだ」「バスケの選手より自分達の既得権の方が重要」と、彼らはバスケ界の問題について10年間ものあいだずっとなしくずし的になあなあでことを進めてきた。
しかしそんなぬるま湯に浸っていた日本バスケ界の重鎮達に対してFIBAの堪忍袋の緒が切れた!
FIBAは日本バスケ協会に対して分裂した2リーグ制を改善できなければ、国際大会への出場禁止や東京五輪の開催国枠の剥奪などかなり強硬な措置に出た。
この措置によりバスケ協会のトップが刷新されて、代わりに元Jリーグチェアマンの川淵三郎がバスケ協会のトップに就任した。
このことにより10年間全く進まなかった日本のバスケリーグはわずか半年で急速に一本化していき、措置の緩和も認められた。
この一連の流れを見て筆者は①で述べた日本の航空行政同様にバスケ界も「(国内リーグ一本化へ)変わらければ、(バスケ界のトップも別の人間に)替えられる」ことを感じた。
誰しも積み上げたモノを手放して変化するのは怖いことだが、今の時代「変わらければ替えられる」である。そうした覚悟が必要な時代になった。