〈①からの続き〉ではこうした極端な高速化によるサッカー界や日本社会の行き詰まりを打破するのが、何度も言っている緩急である。
自分の話をするが筆者が好きなボクサーに下田昭文という選手がいる。下田は「左の辰吉」と呼ばれるハンドスピード型の天才だ。
しかしこの下田が最近壁にぶつかっている。というのも先日の日本ランカーとの再起戦には勝ったが、世界のトップレベルに勝ててないのである。
そうした現状にネットの書き込みにこんなモノがあった。「下田にはクイックな速さがある。日本ランカーレベルならその音速のハンドスピードで簡単に相手を翻弄できる。しかし世界レベルになると(どんなに高速でも)相手は下田の緩急のない一本調子な速さに目が慣れて、カウンターを取れる。下田のボクシングに必要なのは高速化を高めるよりタイミングを外す緩急だ」とあった。
この言葉は先日のシンガポール戦の日本代表にもそっくり当てはまる。
日本代表はある種お家芸でもある高速化された組織的なスピードで、長年アジア王者に君臨してきた。
しかし野球にも未来永劫続く必殺の変化球がないのと同じで、サッカー界の勝ちパターンも永遠ではない。
そうした日本代表が次のレベルを上がる為に必要なのは、やみくもな高速化ではなく世界レベルのサッカーに通用する速攻と遅攻のハイブリッド化である。
さっき野球の話をしたが、投手でも速球が通用しなくなった選手が変化球を覚えて配球の幅を広げて選手寿命を伸ばすというのはよく聞く話だ。
もちろん新しい変化球に挑戦するということは、それまで積み上げてきた投球フォームを崩すリスクもあるが、世の中ノーリスクハイリターンではなく「ノーペインノーゲイン(痛みを伴わないと何も得られない)」である。
日本代表がこの苦戦を肥やしにして脱皮するか落ちていくかは当人達次第である。