〈①からの続き〉前回は信州(長野県)の地域間対立の構図が地方独自のサッカー文化を形成したことを説明したが、今回は他の街についても考えてみたい。
先日筆者が愛読している雑誌NUMBERでbjリーグ青森ワッツの社長がインタビューに答えていた。
その記事によると青森県というところは外部から見ると分かりづらいが太平洋側の津軽地方と日本海側の南部地方では言葉や気候・歴史など気質がかなり違う。
当然両者のライバル心も強く高校野球の決勝で津軽地方と南部地方のチームが対戦する時、両方の地域から解説を呼ばないと視聴者からのクレームは必至だと言う。
それだけではなく大分トリニータのある大分県もトリニータ設立時も、県自体が多くの小さな藩の集合体として廃藩置県時に出来た県なのでチーム設立に県内同士で一枚岩になれなかったというし、FC岐阜も県庁所在地のある岐阜市に対して県内経済の中心である大垣市の企業が「FC岐阜のスポンサーになるなら名古屋グランパスのスポンサーの方が良い」と岐阜市に対する対抗心や名古屋という大都市志向による感情からスポンサーが集まらず、つい最近まで毎年のように経営危機のピンチがあった。
地方都市というのが経済規模が小さいので県内のチームを1つに思うのが地元行政は考えるだろうが、筆者はむしろこの地域間対立のエネルギーを活かして地方都市に多くのチームを作った方が良いと考える。
というのも元々松本市にしたってそれほど経済規模の大きい街ではなく、むしろ地方の小都市だった。
しかし今は熱狂的なサポーターに支持されるJ1クラブを有する街に急成長した。
今の時代新自由主義による経済合理主義ばかりがもてはやされているが、スポーツビジネスというのはむしろそこから外れた非合理性に価値がある。
目先の利潤ばかりを考えるより、一見すると無意味なこだわりに見えるライバル心のような感情がスポーツというコンテンツの現金化を促進する。合理性が時に本質的なモノを見えなくすることもあるのだ。