前回からの続きになるが、五輪の放映権料の高騰というのは五輪(に限らずスポーツビジネス)の商業化や現金化の歴史にダイレクトにシンクロする。

そもそもテレビという機械が発明されたことにより、それまでライブ観戦しか試合を見る手段がなかったのが、遠距離までリアルタイムにスポーツを見る人数が急速に拡散されたので、テレビがスポーツビジネスにとって重要なファクターなのはある種の必然であった。

ロス五輪による五輪の放映権料の本格的な交渉が開始された時、スイス・ローザンヌで入札が行われたがABC・NBC・CBSという米国大手テレビ局で争われたが、入札でまずCBSが脱落したあとにABCとNBCで一騎討ちの入札になった

この時公開入札という制度で入札が行われて、落札したABCの社長は「クレイジーなやり方だ!」と吐き捨てた。このやり方だとお互いの入札金額がわかるのでテレビ局同士の面子にかこつけて、IOCが放映権料を吊り上げるのができるのだ。

結局ロス五輪の放映権料を落札したABCは落札した見返りに、自分たちに有利な放映時間の枠に合わせた競技開始時間を設定した。

しかしロス五輪でABCは5000万ドルの赤字を出し、1988年のカルガリー五輪を最後にABCは五輪放映から撤退した。

スポーツビジネスの根幹であるテレビ放映権料の設定の問題。しかしその「商品(試合の映像)」の値踏みは思いの外難しいのだ。

参考文献 なぜ東京五輪招致は成功したのか? 松瀬学 2013年 扶桑社新書