先日筆者(独眼鉄)が愛読している総合格闘技漫画「オールラウンダー廻」(廻は「めぐる」と読む)で主人公の格闘技をやっている高校生高柳廻が子供の頃習っていた空手の師範が言っていた言葉を思い出すシーンがあった。
「空手も顔面なしのフルコンタクトと寸止めの伝統派の2つのルールに分かれたが、どちらも競技化することによって空手の本質からは離れる」とあった。
この言葉を聞いて空手に限らず、格闘技全体が競技化することによりその格闘技自体の本質から離れる傾向にある。
レスリングも本来「取っ組み合いで強いのは誰だ」という考えの下で始まったが、タックルばかりになってしまい「グレコローマン(下半身攻撃なし)」と「フリースタイル(下半身攻撃あり)」に分離した。
現代の柔道も似た傾向にある。4~5年前の柔道界では双手刈り(タックル)ばかりになり、双手刈りが反則技になった。
格闘技というのも野球やサッカー同様に実質的なプロスポーツ化が進んでいったが、勝つことで生計を立てるプロ格闘家による競技の分析や研究が場合によって競技のルールを変えて、競技の本質から離れてしまうことすらある。<②に続く>
「空手も顔面なしのフルコンタクトと寸止めの伝統派の2つのルールに分かれたが、どちらも競技化することによって空手の本質からは離れる」とあった。
この言葉を聞いて空手に限らず、格闘技全体が競技化することによりその格闘技自体の本質から離れる傾向にある。
レスリングも本来「取っ組み合いで強いのは誰だ」という考えの下で始まったが、タックルばかりになってしまい「グレコローマン(下半身攻撃なし)」と「フリースタイル(下半身攻撃あり)」に分離した。
現代の柔道も似た傾向にある。4~5年前の柔道界では双手刈り(タックル)ばかりになり、双手刈りが反則技になった。
格闘技というのも野球やサッカー同様に実質的なプロスポーツ化が進んでいったが、勝つことで生計を立てるプロ格闘家による競技の分析や研究が場合によって競技のルールを変えて、競技の本質から離れてしまうことすらある。<②に続く>