<①からの続き>それではなぜ五輪の報奨金がそのメダリストの経済効果と比較して安くなっているのかを考えたい。

日本の場合五輪の報奨金というのはJOC(日本オリンピック委員会)が支払っている。JOCというのは国から資金を得るのではなく、独立採算である。ここで「政府が大口スポンサーになってアスリートを援助した方が良いだろ!」と思うかもしれないがそう一筋縄ではいかない歴史がある。

それは有名な1980年のモスクワ五輪の西側諸国のボイコットである。この時の西側諸国(勿論日本も)というのは「スポーツが政治に屈した日」と考えられている。

それまで日本のスポーツ界というのは1964年の第1次東京五輪の成功もあり、スポーツ界と政府のいわば蜜月関係を築いていた。アスリートがメダルを獲り戦争で負けた国民を勇気づけるかわりに、政府がスポーツ界を援助するという関係だった。

しかし1980年のモスクワ五輪では、当時の米国カーター大統領がソ連のアフガン侵攻に反対し、モスクワで行われる五輪に参加しないことを決定した。

当時は米ソ冷戦の真っ只中で西側最大の米国の意向というのは、西ヨーロッパや日本のような国にとって絶対であった。

本来スポーツと政治というのは別物と考えられていたが、モスクワ五輪のボイコットによって日本のスポーツ界というのが政府依存の体質が、政治や外交のパワーバランスといった競技と関係ないところで五輪に出場出来なくなるリスクに気付くきっかけになった。

この一件からJOCは政府依存から独立採算に切り替え日本体育協会から独立し財団法人化し、ポーツ運営を自立したモノにした。

しかし現代のJリーグを見てわかるように、親会社を持たない市民クラブの経営難が毎年のようにニュースになるのと同様に、(JOCは破綻はないだろうが)自主運営というのが想像以上に厳しいモノなのである。

その為政府というスポンサーに依存しないJOCの予算から捻出される五輪報奨金なので、額というのはこの金額に抑えられている。

こうして五輪報奨金から見た報奨金と政治の関係を述べてみたが、戦後70年経ちスポーツと政府の関係も試行錯誤が今でも続いているのである。

参考文献 コリアンスポーツ<克日>戦争 大島裕史 新潮社 2008年