<①からの続き>①では赤星について述べてみたが続いて中澤佑二について考えてみよう。
中澤は元々無名の高卒叩き上げの選手である。埼玉県の無名校を卒業後に単身ブラジルへ武者修行に行き、その後帰国し東京ヴェルディへ練習生からプロ契約を勝ち獲った選手である。
その中澤が当時ヴェルディで2年目のシーズンオフに、クラブのフロントが戦力外の選手を決めている時だった。
中澤はブラジル時代もあったから、クラブでは2年目でも実質高卒3年目であった。サッカーの世界では「高卒3年、大卒2年は面倒見る(その後芽が出なかった選手は容赦なく切る)」という言葉があり、クラブのフロントから高く評価されていなかった当時プロとして無名だった中澤は戦力外の候補であった。
…しかし…
当時のヴェルディの総監督(S級ライセンスはなかったからこの役職)であった李国秀(り・くにひで)氏が「中澤はタッパ(身長)はあるだろ」と訊いて、「中澤はタッパだけです」と返すと「タッパがある選手というのはセットプレーで点が計算出来る。だから中澤は残してくれ(※)」と李氏は自分の持論に基づき中澤を残しておいてくれた。
その翌年J1の試合を視察してくれた代表監督のトルシエが「あの緑のユニフォームの22番(中澤)を代表に呼ぶ」と決めてそこから中澤のシンデレラストーリーが始まった。
李氏はヴェルディで目立った結果は残せなかったが、結果的に日本サッカー界に大きな財産を残した。
中澤の身長というのはクレオパトラの鼻と一緒で「もし低かったら歴史が変わっていた」と言う意味では、古代史と日本サッカー史とジャンルは違うが共通する。
このように赤星にしろ中澤にしろ超一流の世界のトップ選手というのが、意外とアマチュア時代には評価されていないというのはよくある話である。
今の時代情報がありすぎて見込みがないとすぐ止めてしまう人は多いが、プロや専門家の目というのも意外と当てにならないから、下馬評を無視して挑戦するのも手なのである。
※注…空中戦で身長があるほうが有利という持論はあくまでも李氏の持論で、筆者の持論は前回のブログで言った通り身長ではありません。
中澤は元々無名の高卒叩き上げの選手である。埼玉県の無名校を卒業後に単身ブラジルへ武者修行に行き、その後帰国し東京ヴェルディへ練習生からプロ契約を勝ち獲った選手である。
その中澤が当時ヴェルディで2年目のシーズンオフに、クラブのフロントが戦力外の選手を決めている時だった。
中澤はブラジル時代もあったから、クラブでは2年目でも実質高卒3年目であった。サッカーの世界では「高卒3年、大卒2年は面倒見る(その後芽が出なかった選手は容赦なく切る)」という言葉があり、クラブのフロントから高く評価されていなかった当時プロとして無名だった中澤は戦力外の候補であった。
…しかし…
当時のヴェルディの総監督(S級ライセンスはなかったからこの役職)であった李国秀(り・くにひで)氏が「中澤はタッパ(身長)はあるだろ」と訊いて、「中澤はタッパだけです」と返すと「タッパがある選手というのはセットプレーで点が計算出来る。だから中澤は残してくれ(※)」と李氏は自分の持論に基づき中澤を残しておいてくれた。
その翌年J1の試合を視察してくれた代表監督のトルシエが「あの緑のユニフォームの22番(中澤)を代表に呼ぶ」と決めてそこから中澤のシンデレラストーリーが始まった。
李氏はヴェルディで目立った結果は残せなかったが、結果的に日本サッカー界に大きな財産を残した。
中澤の身長というのはクレオパトラの鼻と一緒で「もし低かったら歴史が変わっていた」と言う意味では、古代史と日本サッカー史とジャンルは違うが共通する。
このように赤星にしろ中澤にしろ超一流の世界のトップ選手というのが、意外とアマチュア時代には評価されていないというのはよくある話である。
今の時代情報がありすぎて見込みがないとすぐ止めてしまう人は多いが、プロや専門家の目というのも意外と当てにならないから、下馬評を無視して挑戦するのも手なのである。
※注…空中戦で身長があるほうが有利という持論はあくまでも李氏の持論で、筆者の持論は前回のブログで言った通り身長ではありません。