前編では村田兆治の現役に対する哲学を述べたが後編ではサッカー元日本代表の城彰二の哲学について書きたい。

城というのは知っての通りJリーグバブルの時に冬の選手権得点王として鳴り物入りでプロ入りし、日本代表としてアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」でブラジルを倒す殊勲の1人として有名である。

しかしそんな城もスペイン移籍など経験も積んだ一方で、加齢という敵にはあがなえずキャリアの終盤をJ2の横浜FCでプレーしていた。

過去の栄光に囚われていた城だが夫人の「あなた(城)は元日本代表の城でもなければスペインの城でもない。横浜FCの一選手の城彰二だ」と発破をかけられたのは知られた話だが、その城はサッカー選手として横浜FCのJ1昇格の為に選手として考える上で「FWは90分フル出場できなければ引退した方が良い」と考え、横浜FC昇格後に90分のプレーが出来ないと悟った城は引退を発表した。

200勝を挙げ名球会入りした村田兆治にしても、元日本代表として活躍しリーガでもプレーした城彰二にしても、彼らには共通項が1つあった。「試合開始から終了までプレーできなければ(自分は)選手をする意味はない。そうなったら引退だ」というところである。

筆者(独眼鉄)もこのブログを読んでくれている読者の1人1人に自分の(アイデンティティーの根底となる)スポーツに哲学を持ってもらいたいということをよく言うが、村田にしても城にしてもプロとしてもまだ十分やれるのに引退するというのがわからないと思っていたが超一流のプロも彼らの哲学があり、引退もその哲学に全うしたのである。

寂しくて悲しいことでもあるがこの潔い哲学もまたスポーツの魅力なのかもしれない。

<文中敬称略>