昨日は未曾有の経済発展で過熱する東南アジアのサッカー界のことを述べたが、資金が入ることは良いことだが東南アジアのサッカーに(プレーでの技術以外にも)様々な問題もない訳ではない。今回はそんなことから生まれた悲しい話を紹介したい。
以前J2ジェフユナイテッド千葉(以下ジェフ)には林丈統(はやし・たけのり)というFWがいた。1999年正月の冬の選手権得点王で卒業後に、以前林の母校である滝川第二(兵庫)で監督をしていたドイツ人エンゲルスのツテでジェフに入団した。
林は小兵だが小柄なFW特有のDFへの裏を取る動きで機動力でピッチを撹乱(かくらん)するプレーを期待されていた。
しかしエンゲルスはプロのサッカー監督というより教育者としての要素が強い指導者で、(当時ジェフに在籍していた)高校生Jリーガーに練習より学校の授業を優先させ、結果的にフロントと対立しエンゲルスはジェフを去ってしまった。
そんな顛末(てんまつ)の中で林や他のジェフの選手は翻弄されてしまった。ただでさえ(日本代表の監督人事を見ればわかるが)監督が変われば、その監督の好みによって必要とされる選手が変わるサッカーの世界。選手権得点王として期待された林も出場機会を減らし、いつしか移籍を余儀なくされた。
そんな林がサッカー選手としては高齢の30代前半にジェフに戻ってきた。ここ何年かのジェフに多かった出戻り現象の1人であったが、キャリアの晩年を自分のプロとしての最初のクラブでプレーしたいというのはよくある話である。
しかしプロの世界は非情なところで'Manager is hired to be fired'(サッカー監督はクビになる為に雇われる)ではないが、選手もいずれはクビになる宿命なのである。
その為林は次の再就職先を探す為にJリーグがオフに開催するトライアウトに参加し、結果的にタイのクラブへ雇って貰えることが決まった。<後編へ続く>
以前J2ジェフユナイテッド千葉(以下ジェフ)には林丈統(はやし・たけのり)というFWがいた。1999年正月の冬の選手権得点王で卒業後に、以前林の母校である滝川第二(兵庫)で監督をしていたドイツ人エンゲルスのツテでジェフに入団した。
林は小兵だが小柄なFW特有のDFへの裏を取る動きで機動力でピッチを撹乱(かくらん)するプレーを期待されていた。
しかしエンゲルスはプロのサッカー監督というより教育者としての要素が強い指導者で、(当時ジェフに在籍していた)高校生Jリーガーに練習より学校の授業を優先させ、結果的にフロントと対立しエンゲルスはジェフを去ってしまった。
そんな顛末(てんまつ)の中で林や他のジェフの選手は翻弄されてしまった。ただでさえ(日本代表の監督人事を見ればわかるが)監督が変われば、その監督の好みによって必要とされる選手が変わるサッカーの世界。選手権得点王として期待された林も出場機会を減らし、いつしか移籍を余儀なくされた。
そんな林がサッカー選手としては高齢の30代前半にジェフに戻ってきた。ここ何年かのジェフに多かった出戻り現象の1人であったが、キャリアの晩年を自分のプロとしての最初のクラブでプレーしたいというのはよくある話である。
しかしプロの世界は非情なところで'Manager is hired to be fired'(サッカー監督はクビになる為に雇われる)ではないが、選手もいずれはクビになる宿命なのである。
その為林は次の再就職先を探す為にJリーグがオフに開催するトライアウトに参加し、結果的にタイのクラブへ雇って貰えることが決まった。<後編へ続く>