<前編からのつづき>
他にもスズキカップには価値を見いだせることはある。少し前のサッカーダイジェストにあったが、サッカーのフィリピン代表がスズキカップでベスト4に入ったことで、フィリピン政府がサッカーに資金援助することになり、ナショナルチームの強化ができるようになった。

フィリピンという国はアメリカの植民地だった影響もあり、国技は「3B(バスケット・ビリヤード・ボクシング)」とあって、特にバスケットはフィリピンの絶対的な国技で(昔の日本のプロ野球のように)、サッカーは国内で人気が全くなく国際的な成績も東南アジアの中でも最弱であった。

しかしそんなサッカーフィリピン代表がスズキカップベスト4になって、国内におけるサッカーへの風向きが変わりドイツ人監督を招聘(しょうへい)して、フィリピン人とヨーロッパ人のハーフの選手を代表選手にしてチームの強化をしている。これもサッカー文化の伝播である。

来週(2015年1月12日)豪州でアジアカップが始まるが、8年前のアジアカップでオシム政権での日本代表がグループリーグでベトナム代表と対戦したのを覚えている。ベトナム代表のサッカーは選手がよく走り、ボールも人もよく回る楽しいサッカーであった。

結局力の差は歴然として4-1で負けたと思ったが、東南アジアもチーム力の底上げを着々としていたのを覚えている。

こうした東南アジアのサッカーを見ていると、昔の日本代表の話を思い浮かぶ。(当時からのサッカーファンではないが)かつてアジア最弱と言われていたサッカー日本代表も、オランダからハンス・オフト監督を招聘しヨーロッパ流のサッカーのエッセンスを当時の代表選手に注入し、1992年の北京でのダイナスティカップ(現在の東アジア選手権)で日本代表の国際大会での初優勝と、そして同じ年の広島でのアジアカップ初優勝と爆発的な進化の礎となった。

もちろん今の東南アジアのサッカーがそのレベルまで行ってないのはよく分かる。しかしかつて日本が進化を遂げたように他の国もまた進化の過程にいることも覚えていた方が良い。

参考文献 サッカーマガジンZONE 2015年2月号

オフト革命 勝つための人材と組織をどう作るか― 軍司貞則 祥伝社 1993年