昨年(2014年)の年末に在日コリアンのサッカー選手の帰化や国籍選択の話をこのブログで述べたが、サッカー選手の国籍の問題というのは何も在日コリアンだけの問題ではなく、生粋の日本人にも大いに関係する問題なのである。そのことを今回は考えたい。

昨今の日本で暮らしていると少子化と慢性的な不況からか、ネガティブな話題しか聞こえてこないものである。それからか日本人には「日本なんて本当にどうしようもない国だ」と考える人も少なくない。

この日本という国で長く暮らしていると、日本人が日本国籍のままでずっと暮らしていけることが当たり前のような社会である。それはある意味幸せなことかもしれないが、その一方で社会問題や国際外交の問題に無頓着になる危険性も孕んで(はらんで)いる諸刃の剣のような状態でもある。

しかしこのブログで再三繰り返し言っているが、1990年代以降グローバル化が加速し、自分の身体一つを商売道具にしているサッカー選手にとって、帰化や国籍選択の問題というのは他人事ではないのである。

今日のエントリーに出てくるサッカー選手は資料自体が昔のモノなので、少し古いがご容赦願いたい。

2010年代初頭に南米ペルーから逆輸入で柏レイソルに加入した澤昌克(さわ・まさかつ)という選手がいた。南米からの逆輸入選手で成功した選手というとカズ(三浦知良)だが、この澤も加入当初はチームにフィットして好調だった。

この澤はペルーで活躍していた時にペルーサッカー協会から日本国籍からペルー国籍に替えて、ペルー代表に加入しないか?という話があった。結局澤はペルー国籍を取得せずに、日本人のままで南米でプレーし日本に帰っていった。

また鹿島のCBとして入団した金古聖司(かねこ・せいじ)という選手がいたが、彼も素質は高く評価されながら層の厚い鹿島の守備陣で試合に出られず、出場機会を求めてシンガポールのクラブに移籍した。

東南アジアのクラブは給与の遅配問題も聞くが、昔の日本のJリーグバブルではないがおおむね収入も良い上にレベルも高くないので金古は活躍できた。

そうするとシンガポールサッカー協会は金古にシンガポール国籍を取得して、サッカーシンガポール代表の選手としての加入を打診した。

しかし金古もまた色々考えた結果シンガポール国籍は取得せず、日本国籍のままプレーをした。

他にも南米の強豪国にサッカー留学していた小曽戸允哉(おそど・のぶや)がクラブのつてで中米パナマのクラブに移籍した。パナマは運河の影響でアメリカの文化が強く、その為サッカーはさほど強くなく小曽戸は「(移籍に)失敗した」と最初は考えた。

しかしプレーを続けるうちにパナマで頭角を表し、パナマサッカー協会からパナマ代表への打診を受けるまでになった。しかし小曽戸もパナマ国籍は取得せず日本国籍のままでサッカーを続け帰国した。

こうしてペルー・シンガポール・パナマとサッカーの強豪国ではない国からの代表チーム加入打診の話を3つ書いてみたが、3人とも現地の国籍を取得せずに日本国籍のままプレーしていた。

特に最近のシンガポールは国際資本が集まり日本よりも経済的に発展しつつあるが、それでも日本国籍を放棄することは出来なかっただろうし、それもやむを得ないことなのかもしれない。

よく「日本なんてどうしようもない国飛び出して海外に移住したい」という日本人はよく聞く話だが、日本のパスポートは世界中どこの国でもビザ無しでフリーパスで入国できるし、逆に日本以上に住み易く希望のある国はどこだ?と聞かれても答えられないのが現実である。

今回は日本人サッカー選手の海外代表チーム加入の打診の話を書いたが、日本国籍と代表チームの問題でもそうだがサッカー選手のみならず日本人は日本国籍のことを深く考える機会というのが必要だと筆者(独眼鉄)は考えている。

お知らせ 唐突ですがブログタイトルを変えます。今のスポーツビジネスを中心としたブログというのを解るようなタイトルにしました(ただこれからも社会問題やマンガ論も書くつもりです)。すいませんが宜しくお願いいたします。錦糸町の独眼鉄

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