今年(2014年)も残り僅かとなり師走ということもあってバタバタした日々を送っている。忙しいという漢字は「心(りっしんべん)」を「亡くす」と書くので筆者(独眼鉄)もここのところそうだったが師走の忙しさに精神面がやられていたし、このブログを読んでいる読者の皆さんはもっと大変であろうと思う。
しかし今の時代日本社会において「忙しい=いいこと」という度合いが強くなりすぎているように感じる。確かに忙しいことで他者に必要とされることが悪いとは言わない。しかし過ぎたるは及ばざるが如しではないが、今の日本社会での仕事の忙しさは度を越えたモノのように感じる。
先日「スポーツの現金化」のブログ記事を書こうとして読んでいたNumberの記事でJリーグ第5代チェアマンの村井満氏が興味深い言葉を言っていた。要約すると「Jリーグは日本にとって『アート系』の機能だと思う。経営の世界は数字のデータを使ったサイエンスの世界で、グローバル化の時代に求められた世界には数字を使って誤差の少ない客観的な解釈が必要である。サイエンスとは人体で言えば心臓から体に酸素や養分を各細胞に送る動脈の役割。一方でアートとは情緒的で主観的なモノで、人体で言えば体中の老廃物を腎臓に送って濾過(ろか)する静脈の役割を持つ。Jリーグという文化は、仕事をすることで生まれるストレスや鬱憤(うっぷん)という老廃物を、腎臓に送って濾過して綺麗な血液にする静脈の役割でアート系の機能を果たしている。社会が成熟してサイエンスや動脈の機能が強くなりすぎた日本社会において、Jリーグのような静脈の機能は重要である」とまとめるとこんなことを言っていた。
このことを知って筆者はなるほどと思った。人間が(特に日本社会で生きる人間は)日々生活する上でどうしてもストレスや鬱憤は生まれる。その老廃物を発散するために娯楽というモノがある(その為娯楽を仕事にすると、静脈が動脈になってしまう為に新たな静脈をその人は必要になってしまう)。
しかし日本社会のシステムは体内の血管のほとんどが動脈しかなくなり、体内の老廃物を濾過できずに不健康になっている感じがする。
日本ではないが韓国・ソウル大学のキム・ナンド教授が「ある人がある日に3つの予定がかぶってしまった。①夜に大切な商談がある。相手は商談後深夜に帰国する。延期は出来ない。この夜に商談を済ませないといけない。②同じ日の夜に娘の誕生日会がある。前から指切りで約束していた。この夜に自宅でパーティーをすることになっている。③同じ日の夜に自分の大ファンのロックグループの解散お別れコンサートがある。ファンクラブの会長もしている自分のアイデンティティーの根っこの部分のようなグループのコンサートである。このコンサートも①と②の同じ日の夜にある。あなたは①②③のどれを取る?」と言ったら①が48%、②も48%、③は僅か4%となった。
キム教授はこのデータで韓国社会は個人の楽しみや生き甲斐を犠牲にして成立している社会で、③を選んだ少数派の人は実は勇気ある人たちであるという。
この話を見てみると日本も韓国も自分を犠牲にして仕事や家庭を取ることにカタルシス(満足感)を得ているが、実はそういう選択を続けることは自分の精神や神経を必要以上に磨耗して最終的に不健康になってしまうのである(事実日本も韓国も自殺率は世界トップクラスである)。
今の時代日本社会で働くことというのは、静脈のない人体で生活するようなモノである。だが静脈のない人体というのは必ず自分の体を破綻させるのである。Jリーグでもロックコンサートでも何でもいうから自分の体内に意図的に「静脈」を確保することがこれからの日本社会では重要である。
参考文献 Number 849 2014年3月27日号
しかし今の時代日本社会において「忙しい=いいこと」という度合いが強くなりすぎているように感じる。確かに忙しいことで他者に必要とされることが悪いとは言わない。しかし過ぎたるは及ばざるが如しではないが、今の日本社会での仕事の忙しさは度を越えたモノのように感じる。
先日「スポーツの現金化」のブログ記事を書こうとして読んでいたNumberの記事でJリーグ第5代チェアマンの村井満氏が興味深い言葉を言っていた。要約すると「Jリーグは日本にとって『アート系』の機能だと思う。経営の世界は数字のデータを使ったサイエンスの世界で、グローバル化の時代に求められた世界には数字を使って誤差の少ない客観的な解釈が必要である。サイエンスとは人体で言えば心臓から体に酸素や養分を各細胞に送る動脈の役割。一方でアートとは情緒的で主観的なモノで、人体で言えば体中の老廃物を腎臓に送って濾過(ろか)する静脈の役割を持つ。Jリーグという文化は、仕事をすることで生まれるストレスや鬱憤(うっぷん)という老廃物を、腎臓に送って濾過して綺麗な血液にする静脈の役割でアート系の機能を果たしている。社会が成熟してサイエンスや動脈の機能が強くなりすぎた日本社会において、Jリーグのような静脈の機能は重要である」とまとめるとこんなことを言っていた。
このことを知って筆者はなるほどと思った。人間が(特に日本社会で生きる人間は)日々生活する上でどうしてもストレスや鬱憤は生まれる。その老廃物を発散するために娯楽というモノがある(その為娯楽を仕事にすると、静脈が動脈になってしまう為に新たな静脈をその人は必要になってしまう)。
しかし日本社会のシステムは体内の血管のほとんどが動脈しかなくなり、体内の老廃物を濾過できずに不健康になっている感じがする。
日本ではないが韓国・ソウル大学のキム・ナンド教授が「ある人がある日に3つの予定がかぶってしまった。①夜に大切な商談がある。相手は商談後深夜に帰国する。延期は出来ない。この夜に商談を済ませないといけない。②同じ日の夜に娘の誕生日会がある。前から指切りで約束していた。この夜に自宅でパーティーをすることになっている。③同じ日の夜に自分の大ファンのロックグループの解散お別れコンサートがある。ファンクラブの会長もしている自分のアイデンティティーの根っこの部分のようなグループのコンサートである。このコンサートも①と②の同じ日の夜にある。あなたは①②③のどれを取る?」と言ったら①が48%、②も48%、③は僅か4%となった。
キム教授はこのデータで韓国社会は個人の楽しみや生き甲斐を犠牲にして成立している社会で、③を選んだ少数派の人は実は勇気ある人たちであるという。
この話を見てみると日本も韓国も自分を犠牲にして仕事や家庭を取ることにカタルシス(満足感)を得ているが、実はそういう選択を続けることは自分の精神や神経を必要以上に磨耗して最終的に不健康になってしまうのである(事実日本も韓国も自殺率は世界トップクラスである)。
今の時代日本社会で働くことというのは、静脈のない人体で生活するようなモノである。だが静脈のない人体というのは必ず自分の体を破綻させるのである。Jリーグでもロックコンサートでも何でもいうから自分の体内に意図的に「静脈」を確保することがこれからの日本社会では重要である。
参考文献 Number 849 2014年3月27日号