少し前の話だが先日ノーベル賞の授賞式があり日本出身の学者が三人授賞した。「日本出身」と回りくどい表現をしたのは、受賞者の一人である中村修二氏が米国籍を取得しているからである。

日本人研究者がより良い研究環境を求めて海を渡り、ついには日本国籍から他の国籍を取得する。こういった議論に賛否が別れているように見える。

筆者(独眼鉄)の意見としては「賛成」である。先日購入した筆者が勝手にブログの師匠と崇めているおちゃらけ社会派ブロガーちきりんさんの「多眼思考」(2014年・大和書房)でちきりんさんもこの事に言及しており「この国おかしいだろ?、と思った人が国を出て行くのも、この会社マジ変だろ?と思った人が会社を出て行くのも、私(筆者注=ちきりん)は大賛成です。そうやって、国も企業も危機感を持ち得る。」(2014.10.8の同氏のツイッター、カッコ内は筆者)と言っており、筆者も尻馬に乗る訳ではないが同意する。

そもそも何故日本の優秀な研究者が海外の国籍を取得しようとするのか?それは日本の研究環境があまりに劣悪だからである。国籍を変えた研究者を非国民と否定するのは、本題をすり替えたお門違いである。

日本出身のノーベル賞受賞者で米国籍を取得した人は他に南部陽一郎氏もいるが、青色発色ダイオードの中村氏も日本の組織が正当な評価をしない事で海外に飛び出したのである。

筆者は元々日本の学会という組織に懐疑的である。堀江貴文氏の自伝的小説「ゼロ」の中で堀江氏が東大に入学し(彼が大学で最もやりたかったロケット研究の為の)理転を希望していたが、駒場寮で知り合った東大の先輩の研究環境に絶望したという。

その先輩は(堀江氏が入学した1990年代前半に)当時としてはかなり先駆的にナノテクノロジーの研究をしていたのだが、大学内の学会という組織は純粋な研究成果のみで評価される世界ではなく、学内の政治力や嫉妬などかなり金やコネも必要な一筋縄ではいかない世界であったという。

その先輩は世界的にもかなり最先端の研究をしていたにも関わらず、そういう学会のつまらない学内政治の世界で全く評価されず、研究も台湾製の海賊版の安いパソコンで研究する始末であったという。

これを聞いて筆者は無性に腹が立った。筆者が入学したのは堀江氏とは比較にならないほどのポンコツ大学だが、筆者の大学でも似たような話は聞いた。

そもそも日本のお家芸であったテクノロジーや機械の商品開発が、欧米は愚かアジアの後塵に拝したのはこういう学会の劣悪な人間関係が原因なのではと思ってしまう。ソニーが開発した音楽配信プレイヤーのウォークマンも、21世紀にアップルがiPodを発明してから先はこの手の開発はアメリカの独壇場だ。

断っておくが筆者は東大の研究者が嫌いなのでは全然ない。むしろお世話になっている東大の医師には感謝も敬意も最大限払うし、優秀な研究者にもリスペクトする。腹が立つのは優秀な東大の研究者を生かす環境が、低劣な学会内政治で全く生かされていないところである。

ちきりんさんも言うようにこれからの高校生も「本命はスタンフォード。滑り止めで東大」という選択肢が現実的になれば東大の優秀な研究者にも危機感が生まれて新たなイノベーションが生まれる気がする。今回は日本出身のノーベル賞受賞者の米国籍取得から来る日本の研究環境について考えてみた。

お知らせ これまで筆者(独眼鉄)のブログ内で社会問題全体のテーマが「雇用」でありましたが、最近はテーマの中身が雇用のみならず政治や外交・教育や歴史など多岐に渡り、タイトル通りのテーマではなくなったのでこれからは「雇用」から「独眼鉄の社会への提言」にタイトルを変更します(書く中身は基本的に変わりません)。突然ですが宜しくお願いいたします。
錦糸町の独眼鉄