筆者は高校生時代の1990年代半ば頃から韓国に興味があり、独学で韓国という国を見続けている。自分が韓国を勉強したいと言ったら昔は筆者(独眼鉄)が在籍していた大学から否定されたものだが(当時は韓国を勉強するには今と違って、一部の大学の韓国語学科や国際関係学部の韓国学科しか勉強できず、韓国=一部の好事家という時代だった)、今はどこの大学でも第2外国語で韓国語を専攻出来る時代になり隔世の感がある。
しかしそんな風に長い間韓国を見ていると韓国社会の変化したところや逆に変わらないところというのも見えてくるものである。
今の時代、日本のメディアは韓国の財閥系企業(現代・サムスン・SK等)のアジア市場(中国の携帯電話市場やインドの家電市場)でのマーケティング力の強さからくる競争力の強さを「韓国企業強し」と持ち上げるが、筆者からすると一元的かつ表面的な見方しか出来ていないように見える。
と言うのも韓国という国は人口は約4900万人ほどで、人口が約1億2000万人の日本とは違い韓国の財閥系企業は国内の内需が元々期待出来ない環境にある為、必然的に外貨収入を得る為のマーケティングに力を入れざるを得ないのである。
その一方で企業間の競争も企業内の競争も熾烈を極み、その競争についていけない者は自己責任で切り落とされる→不安定な雇用で再チャレンジのチャンスが全くなく社会の底辺で他者から否定されながらひっそりと生きていくしかない、という生き地獄のような社会でこうして見ると日本社会との写し鏡のように見えてくる。
こうして見てくると韓国社会は表面的には活気があるように見えるが、実は今日本が円安な為に韓国は相対的なウォン高になって、前述のように日本以上に輸出に頼る韓国企業にとっては水面を優雅に泳ぐ白鳥が実は足下の水掻き(みずかき)を必死に掻いて目に見えない努力を死に物狂いで足掻いているように見える。
そんな環境な為に韓国国内の情勢というのは常に苛立ちと先の見えない不安や不満で満ち溢れた社会となっているのである。
そうした社会の中で為政者(国家元首)がすることは周囲の国に不満の捌け口(はけくち)をぶちまけることである。日本も昔明治維新の後に明治政府が国内の失業士族(武士)階級の不満を外に向ける為に征韓論(1873年・結局は取り下げ)を発表したことがあり、結局のところ為政者がやることは古今東西変わらないということである。
今の朴槿恵大統領にしても反日を唱えるということは、日本が憎いというより韓国国内の慢性的な不満を日本に向けて(いわば日本をだしにして)、自分の支持率を上げたいように見える。結局今の韓国社会が悪いのはみんな日本が悪いのだという短絡的な図式に乗っていた方が、思考停止しながら自分達が被害者意識になれるので、何の犠牲もなく楽に自分のプライドを守れるのでそう言っているように見える。
それは韓国だけでなく日本社会も同じである。日本社会が苦しいのは韓国企業や多国籍企業の搾取だとか、働かないニートはどうしようもないとか、健康状態が悪いのは全て煙草が悪いとか、(個人的な話で誠に申し訳ないが)ボクシング界の不調は皆亀田家が悪いとか、マクロな世界でも狭い世界でも日本社会もまた韓国社会と同じように、メディアの作った表面的でうわべだけの情報で日本人も思考停止して特定の他者(煙草・ニート・亀田家)を否定したがって自分達が被害者という立場でいたいのである。これでは韓国社会と変わらない(ニート=若年無業者の問題も当人の怠慢からではなく、日本社会が若者に対して適切な教育→雇用の受け渡し環境を作るのを放棄して若者蔑視の環境を作った犠牲からくるものである。若年無業者の問題は後日改めて書く)。
こうして見ると韓国の日本バッシングも日本のそれも結局は似た者同士ということである。週刊誌の表面的な情報で解った気になるのは危険なことである。
しかしそんな風に長い間韓国を見ていると韓国社会の変化したところや逆に変わらないところというのも見えてくるものである。
今の時代、日本のメディアは韓国の財閥系企業(現代・サムスン・SK等)のアジア市場(中国の携帯電話市場やインドの家電市場)でのマーケティング力の強さからくる競争力の強さを「韓国企業強し」と持ち上げるが、筆者からすると一元的かつ表面的な見方しか出来ていないように見える。
と言うのも韓国という国は人口は約4900万人ほどで、人口が約1億2000万人の日本とは違い韓国の財閥系企業は国内の内需が元々期待出来ない環境にある為、必然的に外貨収入を得る為のマーケティングに力を入れざるを得ないのである。
その一方で企業間の競争も企業内の競争も熾烈を極み、その競争についていけない者は自己責任で切り落とされる→不安定な雇用で再チャレンジのチャンスが全くなく社会の底辺で他者から否定されながらひっそりと生きていくしかない、という生き地獄のような社会でこうして見ると日本社会との写し鏡のように見えてくる。
こうして見てくると韓国社会は表面的には活気があるように見えるが、実は今日本が円安な為に韓国は相対的なウォン高になって、前述のように日本以上に輸出に頼る韓国企業にとっては水面を優雅に泳ぐ白鳥が実は足下の水掻き(みずかき)を必死に掻いて目に見えない努力を死に物狂いで足掻いているように見える。
そんな環境な為に韓国国内の情勢というのは常に苛立ちと先の見えない不安や不満で満ち溢れた社会となっているのである。
そうした社会の中で為政者(国家元首)がすることは周囲の国に不満の捌け口(はけくち)をぶちまけることである。日本も昔明治維新の後に明治政府が国内の失業士族(武士)階級の不満を外に向ける為に征韓論(1873年・結局は取り下げ)を発表したことがあり、結局のところ為政者がやることは古今東西変わらないということである。
今の朴槿恵大統領にしても反日を唱えるということは、日本が憎いというより韓国国内の慢性的な不満を日本に向けて(いわば日本をだしにして)、自分の支持率を上げたいように見える。結局今の韓国社会が悪いのはみんな日本が悪いのだという短絡的な図式に乗っていた方が、思考停止しながら自分達が被害者意識になれるので、何の犠牲もなく楽に自分のプライドを守れるのでそう言っているように見える。
それは韓国だけでなく日本社会も同じである。日本社会が苦しいのは韓国企業や多国籍企業の搾取だとか、働かないニートはどうしようもないとか、健康状態が悪いのは全て煙草が悪いとか、(個人的な話で誠に申し訳ないが)ボクシング界の不調は皆亀田家が悪いとか、マクロな世界でも狭い世界でも日本社会もまた韓国社会と同じように、メディアの作った表面的でうわべだけの情報で日本人も思考停止して特定の他者(煙草・ニート・亀田家)を否定したがって自分達が被害者という立場でいたいのである。これでは韓国社会と変わらない(ニート=若年無業者の問題も当人の怠慢からではなく、日本社会が若者に対して適切な教育→雇用の受け渡し環境を作るのを放棄して若者蔑視の環境を作った犠牲からくるものである。若年無業者の問題は後日改めて書く)。
こうして見ると韓国の日本バッシングも日本のそれも結局は似た者同士ということである。週刊誌の表面的な情報で解った気になるのは危険なことである。