テレビのチャンネルを何気なくつけるとガタイの良い関西弁のおじさんがいると思って見てみると、赤井秀和さんだということがちょくちょくある。

赤井さんは居酒屋チェーンの白木屋や引っ越し屋のイメージキャラクターとして芸能界の仕事をずっとこなしているので、「あの人ずっと仕事しているな」と思われているだろうが、仕事に対して真剣に打ち込んでいるのでずっと座敷がかかる(仕事が無くならない)のであろう。見習いたいものである。

そんな赤井さんもボクシング中継の時に解説者をやっていて、その時になって初めて「赤井さんって元ボクサーだったの?」と知る人も多い。

サッカーの武田修宏が芸能界で長くやっていて彼がドーハの悲劇の時に主人公の1人であったことを知らないちびっこがいたり、ふしぎ発見の板東英二が実は甲子園優勝投手からプロ入りし契約金はあの王貞治より高額だった、ということを知らない人がいるように赤井さんもボクサーとして現役時代は「浪速のロッキー」としてかなり有名なボクサーであった。

しかしそんな赤井さん。ボクシングの解説者の時の肩書きが「元世界ランカー」としか書いてない。赤井さんは元世界王者ではないのか?

実は赤井さんは元世界王者ではない。というより赤井さん自身はボクシングの世界でいうタイトルホルダー(チャンピオンベルトを持っている選手)になったことはないのである(要は日本王者も東洋王者も経験していない)。しかし赤井さんは世界タイトルマッチに挑戦したことはあるのである。

ボクシングに詳しくない人から見ると「そんなことが可能なのか?」と思うかもしれないが、これから赤井さんの肩書きからボクシングの世界戦の挑戦へのプロセスを見てみようと思う。

赤井さんに限らず日本国内に有能なボクサーがいた場合、階級にもよるが挑戦へのプロセスは大雑把にわけて3つある。①日本王者になり防衛しながらランキングを上げて挑戦の機会を窺う②東洋王者になり防衛しながら(防衛戦の中に世界ランカーも入れる)、世界挑戦の機会を窺う③タイトルを持ってないが世界ランカーを招聘(しょうへい)して、その選手に勝って世界ランキングをそのまま自分のモノにする→世界タイトル挑戦すると、このように世界挑戦へのプロセスというのはこのような分類に別れていて赤井さんと彼の陣営は③の手段を取ったのである。しかしこの③の手段というのは日本王者や東洋王者の存在や影響力というのを軽視していると見られて、業界内ではあまり誉められたプロセスではないのも事実である(ルール違反ではないが)。

赤井さんは世界ランカーに勝って世界ランキングを自分のモノにして世界挑戦するも失敗。再起して世界再挑戦の努力をするもノンタイトル戦でKO敗→脳内出血→強制引退となり、結局赤井さんは何のタイトルも持たないまま引退したのである。

しかしボクサーというのは世界王者になっても散財して無一文になったり、警察のご厄介になったりして晩年は不遇な元ボクサーは古今東西にいるが、タイトルを持っていない赤井さんが日本の有名ボクサーの第2の人生で最も成功しているのはボクシング界に対する皮肉にも見える。