今回も筆者(独眼鉄)の漫画論について考えてみようと思うのだが、昨今の出版不況の最中に雑誌単体で利潤が出ているものは(漫画以外のモノ含めて)、どれだけあるのだろうか?

おそらく雑誌全体の0.1%も無いように思える。全盛期の某週刊少年漫画雑誌にしても現在は少子化の波をモロに受けて一時ほどの部数は取れていないという。

そうした中今の漫画雑誌というのはどれだけ訴求力のある媒体なのか?そこが今回のテーマである。

基本的に筆者は「昔が良かった」といった類いのことは言いたくないタチであるが、1990年代ぐらいまでは日本の漫画雑誌というのは、雑誌ごとにその雑誌が持つ暖簾(のれん)ではないが雑誌のイメージやキャラクターのような雰囲気があった。

例えばジャンプは王道の雑誌、サンデーは恋愛に強い、マガジンはスポーツ、チャンピオンは超硬派といったようにその雑誌が持つ特性によって読者が住み分けされていたのである。

しかし2000年代ぐらいから漫画雑誌を取り巻く環境は激変した。インターネットが爆発的に普及していったことにより、コンビニに朝行かないと暇で暇でどうしようもないという事態は携帯電話(→スマホ)によって回避され、漫画雑誌が必需品からあったら読む程度のモノになってしまった。

それに加えて売上が落ちた編集部がグラドルを安易に多用するようになって、結果として漫画雑誌生え抜きの漫画家が生まれづらい環境になり、最終的に編集部は自分で自分の首を締める形になった(グラドルについてはまた機会を作って述べたい)。

それと(これが雑誌が均一化した最大の要因だが)編集部が売上を落とした穴を他紙の看板漫画家で穴埋めしようとして人材が流動的になり過ぎて、こちらも最終的にどの漫画雑誌も似たり寄ったりになる原因になってしまった。

話は脱線するが日本全体が均一化して面白くもなんともないという現象は何も漫画雑誌だけではない。読者の側の大学生も同じで、昔は東京の大学と言えば人種の坩堝(るつぼ)で多種多様な人間の集まりと言われたが、今は首都圏の大学の大半は一都三県の高校の卒業生で、ある年配の人に言わせると「昔は早稲田と慶応ではかなり気質が違ったが、今はどちらもあまり変わらない」と言われている。要は雑誌の作り手も読み手も均一化した時代になっている。

このように現在の漫画雑誌はインターネットの普及により雑誌の必要性が激減した上に、安易なグラドル志向によってどの雑誌も見分けがつかなくなり(AKB48のメンバーも美人といえば美人だが、だからといって漫画雑誌をわざわざ買わないといけない理由はないし、同等の美貌を持つ若い女の子がもっと過激な格好をする映像がネット上に無料でいくらでもあるので、漫画雑誌のグラビアには訴求力が低下するのである)、生え抜きの漫画家のいない漫画雑誌に読者はその雑誌に忠誠心を尽くす必要性も無くなり、かくして日本のコンビニには没個性な漫画雑誌が買い手も付かないまま乱立していっているのである。