筆者のブログのシリーズで書きたいんだけどの反響も乏しく人気の無い「雇用」シリーズであるが、今回も思うところがあって書くことにした。

今まで漫画論を書いてきた上で日本橋ヨヲコの(芳崎せいむも言っていたが)「0を1にする欲求」ということを言っていた。日本橋ヨヲコは続いて「1を2にするだけの人はどれだけ絵が巧くてもプロの漫画家にはなれない」とも言っていた。

一方で芳崎せいむは新刊書店の書店員にも「0を1にする欲求」が必要で、本来新刊書籍を売るだけの書店員にもこういったクリエイティブな能力が必要不可欠で、書店員にそういった能力が欠けているのは教育不足と書店員の志が低いからである、といっていた。

今回全く違うジャンルの漫画から表現は微妙に違えどかなり類似した言葉が出てきたのが印象的であった。

今回この事を考えてみると、この世に数あまたあるほとんど全ての職業にこういった能力は必要なのではないかと感じた。

個人的な話になるが今日仕事中に警察官から職質され(仕事そのものはまっとうなものです!!)、その警察官に近所の職業訓練校にいきなりスカウトされてしまった。筆者は今の仕事があるので丁重に断ったが、(その出会ったばかり警察官がなぜかやたら筆者の能力を買ってくれたのは有難いのだが)正直筆者が職業訓練校に行くのは気が進まないところもある。

というのも職業訓練校というのは国や自治体がお金を出して若者を(筆者はおっさんだが)支援しているのだろうが、その学校を卒業して習得した技術自体に市場のニーズがどれだけあるのかは疑問である。

例えばパソコンのクラスでC言語という講座があるが、ホリエモンの本には「今のネット環境でC言語を学んでも市場の需要がない。過去の時代の遺物」とバッサリ切られていたし、電気工事にしても大工にしても全体的に供給過剰である。

大工にしてもこれだけ日本全体に空き家が多く、工務店の受注もリフォームばかりで新築の需要が少ないのに職業訓練校で大工になってもねぇというのが本音である(だからといって筆者も今のままで良いわけではないがそれは又別の話)。

話は長くなったが最初の話ではないが、今の職業訓練校や昨今の資格を取ったら何とかなる幻想の資格ブームも日本の高等教育で拡大再生産される人材も皆「1を100にする能力」ばかりの人材である。要は与えられた課題を時間通りにはこなすがオリジナリティーやクリエイティブな観点が欠落しているのである。

そんな人材が労働市場にわんさと出てきてもらっても雇う側からしても「代わりはいくらでもいるから必要ない」と言うしかない。筆者も抽象的な事しか言えずに申し訳ないが、日本の労働市場に必要なのはクリエイティブな遊び心や失敗しても必要以上に訴追せずにむしろチャレンジする土壌を作る事である。小手先だけの雇用政策は無意味である。