自分が小学校時代には考えられなかったが近年はクールジャパンの影響で、漫画・アニメが国家としての貴重な外貨獲得の収入源となって漫画が見直されている傾向にある。

しかし漫画がこうやって何の価値もない下等な娯楽と低く見られていた時代から漫画に(言い方が下品だが)ゼニの匂いがするようになって、それまで漫画を否定していた大人たちが掌を返して漫画を持ち上げている昨今だが、今漫画の世界が急速に変化しつつある。

その中の一つに大学や専門学校の漫画学科や漫画スクールの誕生である。それまでの大学は最高学府として絶対的な権威として漫画を軽く見ていたが、彼らの世界も急速に進む少子化とそれに反比例する大学の数の増加になりふり構ってられない事情もあって、こういう漫画学科を作るようになっていったように見える。

ではそういう国内にできてきている漫画学科を卒業できれば皆プロの漫画家になれるかといえば、やはり無理というしかない。国内の漫画に対する環境の変化に第一線で活躍するプロの漫画家の意見は色々である。

ONE PIECEの尾田栄一郎が自身の漫画のSBS(質問コーナー)で読者が「どこで習えばそんなONE PIECEみたいな面白い漫画が描けますか?」という質問に対して「漫画というのは習うモノではない。習うという発想そのものがダメだ」といつもはおちゃらけているSBSでもそこは真面目な文脈で語っていたのを覚えている。

そもそも漫画に限らずクリエイティブな設計を構築する作業というのは基礎的な段階は別として、(漫画だったら)話のストーリー性やそれに伴うキャラクターの性格面の構想(いわゆる「キャラの立て方」)はその漫画家本人の才能や人間性・当人の育った生活環境によって、その作品の行く末は左右されていくであろう(こういう能力は人に習うより、その当人の遊び心のほうが重要である)。

ただ漫画学科というのも全部が全部を否定されている訳ではない。西原理恵子が相談者の娘がプロの漫画家を目指すという相談に対して「漫画学科という手段も私(西原)は否定しない。そこに入ることで自分の絵の能力を周囲の同期と比べることで自分の絵を客観的に見比べられる。そういうところに行ってプロになれる人もいる」と言っていた(もっとも「そういう人は漫画学科に行かなくてもプロになれる素養がある人だが」と付け加えていたが)。

あと漫画ではないが、人を笑わせるという意味でギャグ漫画家と共通するお笑いの専門学校について伊集院光が「お笑いの専門学校に入って、そこで習ったチープなコピーのようなお笑いが拡大再生産されている(これが一番つまらないお笑い)」と言った上で、「しかしその中でお笑いの専門学校の中で(そういう芸人の卵たちが切磋琢磨できる環境の中で)とんでもないお笑い芸人が生まれることもある」と言っていたことがあった。

結局歌手が歌う歌詞のストーリーもそうだが、学校に入る→そこでコピーされたものを習う→それを人前で披露する、という形は他の人も持っている内容だから自分の持つ能力が買い叩かれる運命を辿るだけである。学校に入る→同期と(プロデビューという)険しい目標の為に切磋琢磨する→刺激になる→プロデビューできる能力に達する、という図式をプロの漫画家の卵たちは自分で構築していかなればならない。

漫画学科に入って成功するにはこういう図式を自分で構築していかなければならないだろう(普通に高卒からプロアシでもこういう環境は作れるのだが)。