今、昔のスクラップブックを引っ張り出したら少し面白そうな記事が出てきたので、今ブログのネタにしようかと思ったのだが、今更知られた話かも知れないが巨人の中継ぎの山口鉄也というのはこのブログにふさわしい、プロ野球選手という(グラ○ニではないが)星の色一つで0か100か決まってしまうような超の着く格差社会で、どうやって限られたチャンス(ワンチャンス?)をモノにするかという世界なのだが、山口の場合はまさに良い方向に出たというか(今や死語かも知れないが)「成り上がり」という言葉がぴったりくるような男である。
山口鉄也という男は元々高校野球の激戦区である神奈川の古豪横浜商業出身で、もとからプロ志望だったがプロの球団には引っ掛からなく単身渡米。そしてアリゾナ州のマイナーリーグ(1A)に入団しプレーするも退団し帰国。その後阪神や楽天の入団テストを受けるも不合格でそして巨人の育成選手として拾ってもらい、その後の活躍は周知の通りである。
最近はプロ野球をほとんど見ていないので浦島太郎状態の筆者(独眼鉄)であるが、山口という選手は本当に近年稀に見る高卒の叩き上げである。
しかしこの山口という選手は育成選手ということもあって成功例としてスポットライトが当たっているが、筆者のブログ(2014年3月5日号・スポーツの現金化・その78・プロ野球育成選手の苦悩)で育成選手がどれだけ低年俸の上に明日をも知れない不安定な立場なのかを記していた訳だが、こうやって一流のスターダムにのしあがっても誰もがそうやって上がれる訳でもない。
巨人では他の育成選手としては松本哲也(年俸3200万円)や隠善智也(年俸800万円)がプレーしているが、山口の場合は特にその成り上がりの度合いの桁が外れている。
元々アメリカ挑戦から帰国後に知人が経営するコンビニでバイトしていて、その時の時給が800円だったのが今や昨年の契約更改で3億2000万円(!)という「どんだけ収入の桁が外れてんだよ!」と思うような成り上がりっぷりである。
しかしそうは言うものの、そんなにそういったサクセスストーリーを歩める選手はいないのも事実である。以前読んだ週刊ベースボールで育成ドラフト7位の選手(背番号も三桁の巨人の選手)が2012年後のシーズンオフに巨人だけで15人以上の選手が戦力外になったとあって(それは育成以外の選手含めてということだろうが)、そういう意味ではプロ野球の世界というのは(グラ○ニの凡田夏之介ではないが)、本当に厳しい世界である。今このブログを書く為に育成選手の名前を検索エンジンにかけたが「元」プロ野球選手という選手がほとんどだった。山口鉄也という選手を「すげぇ!!」と思う一方で、この世界は想像以上に過酷な世界である。
山口鉄也という男は元々高校野球の激戦区である神奈川の古豪横浜商業出身で、もとからプロ志望だったがプロの球団には引っ掛からなく単身渡米。そしてアリゾナ州のマイナーリーグ(1A)に入団しプレーするも退団し帰国。その後阪神や楽天の入団テストを受けるも不合格でそして巨人の育成選手として拾ってもらい、その後の活躍は周知の通りである。
最近はプロ野球をほとんど見ていないので浦島太郎状態の筆者(独眼鉄)であるが、山口という選手は本当に近年稀に見る高卒の叩き上げである。
しかしこの山口という選手は育成選手ということもあって成功例としてスポットライトが当たっているが、筆者のブログ(2014年3月5日号・スポーツの現金化・その78・プロ野球育成選手の苦悩)で育成選手がどれだけ低年俸の上に明日をも知れない不安定な立場なのかを記していた訳だが、こうやって一流のスターダムにのしあがっても誰もがそうやって上がれる訳でもない。
巨人では他の育成選手としては松本哲也(年俸3200万円)や隠善智也(年俸800万円)がプレーしているが、山口の場合は特にその成り上がりの度合いの桁が外れている。
元々アメリカ挑戦から帰国後に知人が経営するコンビニでバイトしていて、その時の時給が800円だったのが今や昨年の契約更改で3億2000万円(!)という「どんだけ収入の桁が外れてんだよ!」と思うような成り上がりっぷりである。
しかしそうは言うものの、そんなにそういったサクセスストーリーを歩める選手はいないのも事実である。以前読んだ週刊ベースボールで育成ドラフト7位の選手(背番号も三桁の巨人の選手)が2012年後のシーズンオフに巨人だけで15人以上の選手が戦力外になったとあって(それは育成以外の選手含めてということだろうが)、そういう意味ではプロ野球の世界というのは(グラ○ニの凡田夏之介ではないが)、本当に厳しい世界である。今このブログを書く為に育成選手の名前を検索エンジンにかけたが「元」プロ野球選手という選手がほとんどだった。山口鉄也という選手を「すげぇ!!」と思う一方で、この世界は想像以上に過酷な世界である。