前回のまんが道の時に言いたかったことでその時書けなかったことを今回は書こうと思う。
今回のテーマは「テーマはマニアック」なのだが一体何がマニアックと言うのかというかと、今の漫画というのはその中の世界観をとっかかりすら全くないようなジャンルでもあっても、とにかく徹底的にリアルにディープにマニアックに表現するのが、今の21世紀に入った現代漫画のセオリーである。
こうした現代の漫画の風潮で思い出すのはやはり以前にも紹介した「オールラウンダー廻」である。この漫画は前にも言ったが主人公の高校生高柳廻(たかやなぎ・めぐる)がアマチュアの修斗(しゅうと)という総合格闘技で強くなる為に勝ち上がる為にプロの格闘家になる為に努力している訳であるが、アマ修斗という世界はプロの格闘技の世界に20年近くいる筆者(独眼鉄)のような人間でさえ、知らない世界である。
格闘技畑の筆者でさえそうなのだから普通に読者として読んでる方にとっては、もっと全く理解できない未知の世界であろう。
しかしこの漫画はそんなアマ修斗という世界を徹底的にディープかつマニアックに表現しているのである。普通これだけ一般人にとって未知の世界なら「ちょっとくらいリアルじゃないところを見せてもいいかな?」とある意味不届きなことを考えても不思議はなくとも(失礼)、作者の遠藤浩樹氏は全くその点において妥協はしない。
筆者も競技は違うがプロ格闘技の世界は知っているので、共通する部分も分かるには分かるがそれにしても、この漫画の細部までのディープでマニアックな世界のリアリズムは驚嘆を禁じ得ない。
それは「廻」のみならず「はじめの一歩」や相撲の「バチバチ」シリーズのそれにも共通する。
というより格闘技の世界に限らず、何のジャンルでもそういうマニアックな世界への徹底的なリアリズムの追求というのは、今の時代の漫画のスタンダードとして主流になりつつある。
読者としてはその世界を全く知らない右も左もわからない未知の異次元の世界にも関わらず、どんどんその世界の特殊なディープな魅力にいつの間にかはまりこんでしまう(筆者にとって「はじめの一歩」がまさにそういう漫画だった)が、今の時代の漫画というのネットの出現によって、その世界の特殊な世界のリアルな空間というのをいくらでも分かることによって、現代の漫画は以前に言ったインサイドワークもそうだが、徹底的なリアリズム至上の時代にもなっているのである。
今の時代をあるメディア評論家は「少衆・分衆の時代」と言ったが、その隣の近くにあるけど全くわからない世界を徹底的に細部にわたってディープに表現することが、現代の漫画で成功する秘訣のように感じる。
今回のテーマは「テーマはマニアック」なのだが一体何がマニアックと言うのかというかと、今の漫画というのはその中の世界観をとっかかりすら全くないようなジャンルでもあっても、とにかく徹底的にリアルにディープにマニアックに表現するのが、今の21世紀に入った現代漫画のセオリーである。
こうした現代の漫画の風潮で思い出すのはやはり以前にも紹介した「オールラウンダー廻」である。この漫画は前にも言ったが主人公の高校生高柳廻(たかやなぎ・めぐる)がアマチュアの修斗(しゅうと)という総合格闘技で強くなる為に勝ち上がる為にプロの格闘家になる為に努力している訳であるが、アマ修斗という世界はプロの格闘技の世界に20年近くいる筆者(独眼鉄)のような人間でさえ、知らない世界である。
格闘技畑の筆者でさえそうなのだから普通に読者として読んでる方にとっては、もっと全く理解できない未知の世界であろう。
しかしこの漫画はそんなアマ修斗という世界を徹底的にディープかつマニアックに表現しているのである。普通これだけ一般人にとって未知の世界なら「ちょっとくらいリアルじゃないところを見せてもいいかな?」とある意味不届きなことを考えても不思議はなくとも(失礼)、作者の遠藤浩樹氏は全くその点において妥協はしない。
筆者も競技は違うがプロ格闘技の世界は知っているので、共通する部分も分かるには分かるがそれにしても、この漫画の細部までのディープでマニアックな世界のリアリズムは驚嘆を禁じ得ない。
それは「廻」のみならず「はじめの一歩」や相撲の「バチバチ」シリーズのそれにも共通する。
というより格闘技の世界に限らず、何のジャンルでもそういうマニアックな世界への徹底的なリアリズムの追求というのは、今の時代の漫画のスタンダードとして主流になりつつある。
読者としてはその世界を全く知らない右も左もわからない未知の異次元の世界にも関わらず、どんどんその世界の特殊なディープな魅力にいつの間にかはまりこんでしまう(筆者にとって「はじめの一歩」がまさにそういう漫画だった)が、今の時代の漫画というのネットの出現によって、その世界の特殊な世界のリアルな空間というのをいくらでも分かることによって、現代の漫画は以前に言ったインサイドワークもそうだが、徹底的なリアリズム至上の時代にもなっているのである。
今の時代をあるメディア評論家は「少衆・分衆の時代」と言ったが、その隣の近くにあるけど全くわからない世界を徹底的に細部にわたってディープに表現することが、現代の漫画で成功する秘訣のように感じる。