漫画を読むようになって30年以上経つが、筆者(独眼鉄)が基本的に好きな漫画はスポーツ漫画である。1980年代にある種聖書に近いぐらい絶対的な漫画「ドカベン」「大甲子園」や「柔道部物語」(もともと柔道部物語は作者の小林まことが猫の漫画を描いていて、猫好きの母親は漫画嫌いであったがその漫画だけは好きであった為に読むようになっていた。そこから筆者の20年以上の格闘技ライフがスタートするとは、物事のきっかけはわからないものである)。そこから柔道を怪我で挫折して1990年代以降の聖書は「はじめの一歩」になった訳だが(なんて分かりやすい思考回路だ。二進法のように単純だ・笑)、そうした人間なので漫画の中でもスポーツ漫画は作者も掲載雑誌も全く知らなくても、そのスポーツに興味があるだけで(その漫画の)単行本を買ってしまう時もある。

そうした中で現在のスポーツ漫画というのかなり変化を見せている。

それまでのスポーツ漫画というのは1980年代までは「水島新司作品とそれ以外」と言ってもいいぐらい水島作品以外でリアリティーのある漫画は少なかった(強いて挙げるなら前述の柔道部物語とあだち充のタッチだけである)。

前にもいったが1990年代には入って日本のスポーツ漫画に革命のような激動があった。日本のスポーツ漫画にスポーツのインサイドワークというのを、徹底的に緻密に試合の中身を魅せることによって野球もそうだがそれ以外のスポーツの魅力というのを伝える漫画が、それこそ百花繚乱のように花開いた。その最たる作品が「SLAM DUNK」と「はじめの一歩」である。これらの漫画は日本国内で野球ほど主流のスポーツでないのにも関わらず、ある意味水島作品のインサイドワーク至上主義のような緻密な試合内容と魅力的かつ個性的なキャラクターでその世代(今のアラフォーのロスジェネ世代)をそれぞれの競技に引き込んでいった(筆者はボクシングの方に流れたが、当時のSLAM DUNKでバスケットの世界に引き込まれたアラフォーは多いだろう)。

それだけでなく野球でも「ポスト水島」のような作品が出てきたし(原秀則の「やったろうじゃん」や三田紀房の「クロカン」)、サッカー漫画も凄いことになっていた(塀内夏子の「オフサイド」は80年代からの作品でこれも名作だが、赤星鷹の「Jドリーム」で塀内のサッカー漫画家としての地盤が固まった感もあるし、草場道輝の「ファンタジスタ」や大島司の「シュート」も根強い人気があった)。

90年代というのは日本の漫画界にスポーツ漫画の「インサイドワーク至上主義」時代のような爆発的な進化を遂げた時代であった。

また1990年代というのはインターネットというのもまだ未知なもので「ネットとはなんぞや?」という時代で自分が興味あるスポーツのインサイドワークを知りたいなら、試合を見て(その競技の)スポーツ専門誌を全部定期購読するくらいしか情報を集める手段はなかった(余談だが筆者はボクシングでそれをやっていた)。

スポーツ漫画の描き手に限らず競技者よりも「岡目八目(戦っている当人より、試合を見ている人の方が知識や理解度が高いこと・囲碁の言葉)」であって、ファンとして試合を見ている人は得てして頭の回転が良いものであるが、この当時のネットがない時代に知識を蓄積するのは並大抵のことではなかった。

本当は今日は21世紀以降のスポーツ漫画についても書きたかったがここまでにするが、1990年代というのはまさに「インサイドワーク至上主義」時代であった。