筆者(独眼鉄)も幼稚園時代、父がおそらく会社の同僚から譲り受けた1970年代の高校野球漫画の金字塔「ドカベン」を読むようになってマンガライフももう30年以上が経過するようになった。

筆者(独眼鉄)は破滅的なぐらい絵が下手で、早々に漫画家という進路は自分で断ったが(あとマンガのオマケページである漫画の作者が締め切りのことで担当の人にぶん殴られていてたり、別の漫画の作者が締め切りをブッチ切って新作のゲームソフトにうつつを抜かし、これまた担当とマジギレの大喧嘩になっているのを見て「ここは無理だな」と子供ながらに思って漫画家は諦めたが)、基本的に漫画家は敬意を払いたいし、(手前味噌で申し訳ないが)今まで集めた漫画家のサインも藤子A不二雄や松本零士・ちばてつやなど計40回になるが、基本的に筆者は(HNにマンガのキャラクターを使うぐらい)「金魚屋古書店」のイケメン店員斯波尚顕ではないが(彼のイケメン度合いの1/1000でも欲しいくらいだが)、「漫画愛」というものをずっと持っている人間なのである。

さて自分の漫画論に対して前置きが長くなったが、そんな自分の漫画に対するスタンスというのは歳を経るにつれて細かく微調整されているが、最近の漫画の傾向を見るに1990年代や2000年代のそれに比べて、かなり日本人のマンガに対する嗜好や性向のようなものが変化している感がある。

以前ホリエモンこと堀江貴文氏の本で「最近(その本が出たのは2013年初版)の漫画というのは昔に比べて良い漫画は沢山増えたが、今の時代は漫画はプロモーション活動をしっかり出来ないと読者に良い漫画をリーチ[到達]出来ない」と昨今の漫画に対する動向を分析していたが筆者も全く同感である。

今の時代90年代末からインターネットの爆発的な普及により、あるマイナーな競技の試合の映像や情報も以前なら相当マニアックなコレクターしか持たないものも、今やネットの検索エンジンやYouTubeで一瞬で提供される時代である(インターネットの拡散は実際のスポーツをやっている競技者にも勿論影響を与えている。その関係性はまたいずれ「スポーツの現金化」で紹介したい)。

ネットが普及する前は前述の「ドカベン」や1990年代のマンガカルチャーの爆発的進化を遂げた頃の「SLAM DUNK」の湘北vs山王工業や「はじめの一歩」の一歩vsヴォルクや木村vs間柴のような綺羅星のような漫画界の豊饒(ほうじょう)のような(時代は平成大不況だったが)名作も作者自身がルールブックを穴が空く程読んだり、彼らがそのスポーツのコアでマニアックな知識や魅力・情報を独占していたことにより、これらの漫画は時代の象徴のような名作・傑作に昇華された。

しかしネットが普及した今の時代、スポーツ漫画は知識や情報は持っていて当たり前。リアルなキャラ設定や(漫画家に必須の)異性の繊細な心理描写も当然クリアしている。その上でどれだけ面白い漫画が描けるか?ということになっている。(スポーツ漫画に限った話ではないが)ある漫画が成立する為のハードルやプロセスの質というのも(情報が昔に比べて飛躍的に容易に手に入るようになった分)、これも桁外れに上昇しているように見える。

前述の漫画がその時代の歴史を象徴するような名作なのは解るが、今の時代これらの漫画と同じくらい高品質なスポーツ漫画というのは(筆者が知っているだけでも)いくらでもある。それだけに今の時代の漫画というのは以前に比べて格段に難しく厳しい時代になった。