先日漫画を紹介するサイト「コミックナタリー」で小学館の月刊漫画雑誌IKKIの休刊が発表された。IKKIと言えば日本橋ヨヲコの名作「G戦場へヘヴンズドア」といった名作も輩出していた雑誌で、筆者(独眼鉄)も一目置いていた雑誌でもあった。連載中の漫画でも「金魚屋古書店」や「ゴロンドリーナ」といった作品もあって単行本で楽しみに読んでいた。

しかしそんな力のあった漫画雑誌も、昨今の雑誌の休刊ラッシュの波には逆らえず秋に休刊となった(後に新雑誌を創刊すると言うが…)。

このニュースを知って色々思うところがあった。IKKIという漫画雑誌は、勝手なこっちの個人的な印象として、1990年代(筆者が高校生の頃)の講談社のアフタヌーンのような漫画界のカオスのような漫画雑誌をコンセプトにしていた感があった(勝手な思い込みだが)。この頃のアフタヌーンというのはかなりオタクの最先端というか、「自分の漫画が描ければ自分(その漫画家)の人生くれてやる!!」ではないがかなりカオスな世界で、筆者も熱心な読者だったがあの頃のアフタヌーンに携わっていた人間は、漫画家も編集者も(自分たち含めた)読者もかなりクレージーな人間だった感がある(あの頃のアフタヌーンの漫画家に対するクレージーというのはある種の褒め言葉かも知れない)。

しかしそんなクレージーなアフタヌーンを取り巻く集団が(漫画家も編集者も読者も)、だんだん時が経つにつれて名作のヒットメーカーになっていったのである(事実アフタヌーンの四季賞は漫画家の新人賞の中では一番の有名漫画家を多数輩出している登竜門の賞であるし、「NARUTO」の岸本斉史もアフタヌーンの「無限の住人」に圧倒的な才能の差を突き付けられたと言っていた)。

長くなった話を戻すが、IKKIという雑誌は小学館内でもアフタヌーンのようなサブカルチャーの中枢のような雑誌を作りたかったように見える。しかし今回のタイトルではないが失礼ながら「コピーはオリジナルを越えられない」ような実感を受けた。個人的にIKKIはIKKIでもう少し独自の色を着けてもらいたかった(もっともIKKIがアフタヌーンのようなイメージというのは筆者の思い込みなのだが)。

話は飛ぶが先日プロレスの棚橋弘至さんの本を読んで棚橋さん曰く「(自分が他の若手2人と新・闘魂三銃士と呼ばれるにあたり)キャッチフレーズで『新○×』や『ポスト○△』と呼んで成功したアダ名はない(そのキャッチフレーズも定着しなかった)」と言っていたがコンセプトの後追いというのは一見ラクそうに見えて、実は難しい事なのである。

モノを作る時の創作活動というのは苦しいものである。しかし(当時のアフタヌーンのように)オリジナルなものが作れて、なおかつ社会からの需要がある場合は(苦しんだ分)無敵になる(勿論成功する保証はできないが)。コンセプトの創作は試行錯誤しながら自分で構築しなければならないものである。