まずブログを書く前に読者の皆様に謝罪しなければならないが、筆者(独眼鉄)は今就職活動(大学生ではない)の最中の上に、この暑さで少し参っているので(皆様もそうだろうが)、ブログのペースを落とさないといけない状況なのである。そこをご了承下さい。
さて本題に入るが、今の若者の貧困について長々と筆者はブログを書いている訳だが(本来自分のブログ内の主たるテーマの一つである「雇用」と分けて考えてたかったのだが、書けば書くほど「雇用」問題に近づいている気がする)、今までも言ってきた通り若者が貧困に陥るという問題は(日本だけでなく世界の主要国の共通の問題だが)、日本(世界)経済において大きな負のインパクトを与えることを言ってきた。前回の記事にも出たように、若者が雇用というセーフティネットから溢れる(あふれる)ということは彼ら個人だけの問題ではなく、社会全体において重大な損失になることも述べてきた。
若者に限った話ではないが、既存の日本社会における(今筆者もやっているが)就職活動や雇用の在り方に一種の制度疲労が噴出しているように感じる。
若者だけではないが雇用という人間関係がその個人にとって最大のセーフティネットになる訳だが、今まで日本企業というのは「名門」大学の学生を大学の卒業生を通じて(いわゆるOB・OG訪問)、企業側は優秀な若者を確保しようとして一方で大学生側とすれば(少し鼻にかかるが)「学閥」という優位性を持って自身の雇用を確保し、企業側(厳密には企業の人事担当者)や大学側(大学の就職課)は今の時代で言う「Win-Win」の関係を構築できた時代もあった(ある意味牧歌的な幸せな時代であったが)。そしてその学閥で囲った人材(大卒の若者)を企業が手間暇かけてじっくりOJT(オンザジョブトレーニング…企業内での熟練した技能の習得)していった(それも幸せな時代であった)。
しかし周知の通り、今の時代大学という組織は優良な雇用先を斡旋できる組織ではなく、一方で企業もOJTをする経済的や時間的余裕は全くなく大卒では、いるはずのない即戦力を求めて、雇用形態も大卒の一括採用以外の人材雇用システムしか知らないので(とにかく失敗が怖いプリベンション志向なので)、雇用形態やその雇用に対する思考や価値観も極度に保守化していって(本来なら新たな雇用を考えなければならないのに)、どんどん社会全体が右寄りに保守的に硬直化している。日本に住んでいる国民の誰もが「今の世の中(雇用に限らず)社会の仕組みがおかしいよ!」「こんなの長く続く訳がない!」と言いつつこれ以外の成功体験を知らないから、それに盲従する→そして失敗する、というが(過去の成功体験から脱皮できず、その手段ではうまくいかないのに固執することを「成功の呪い」という)、その成功体験も四半世紀前であるし、旧来の硬直化した雇用形態に固執するのではなく、時代にみあった雇用環境を新たに創出する必要性がある。
今の時代それまで全く見向きもされなかった韓国映画や韓国人アイドルが「韓流スター」になり、文化の範疇に受け入れられなかった漫画も海外から逆輸入されコミケは集客が難しい現代ビジネスにおいて10万人規模の巨大化した産業になり「MANGA」カルチャーに発展していき、一部の特殊な世界の人の仕事であったスポーツも最も現金化に成功したサッカーを頂点に野球や格闘技、他の球技やモータースポーツも利益になったのである(詳しくは筆者のブログの「スポーツの現金化」アーカイブを見て下さい)。
80年代のバンドブームから音楽が産業になったように、90年代は他の娯楽が産業になっていった。今雇用の受け皿から溢れている若者は新しい雇用の受け皿(限られた小さなパイを学閥のしがらみで奪い合うのではなく)を新たに創出していくことが若者の貧困の問題解決や雇用問題には必要な感じがする。
さて本題に入るが、今の若者の貧困について長々と筆者はブログを書いている訳だが(本来自分のブログ内の主たるテーマの一つである「雇用」と分けて考えてたかったのだが、書けば書くほど「雇用」問題に近づいている気がする)、今までも言ってきた通り若者が貧困に陥るという問題は(日本だけでなく世界の主要国の共通の問題だが)、日本(世界)経済において大きな負のインパクトを与えることを言ってきた。前回の記事にも出たように、若者が雇用というセーフティネットから溢れる(あふれる)ということは彼ら個人だけの問題ではなく、社会全体において重大な損失になることも述べてきた。
若者に限った話ではないが、既存の日本社会における(今筆者もやっているが)就職活動や雇用の在り方に一種の制度疲労が噴出しているように感じる。
若者だけではないが雇用という人間関係がその個人にとって最大のセーフティネットになる訳だが、今まで日本企業というのは「名門」大学の学生を大学の卒業生を通じて(いわゆるOB・OG訪問)、企業側は優秀な若者を確保しようとして一方で大学生側とすれば(少し鼻にかかるが)「学閥」という優位性を持って自身の雇用を確保し、企業側(厳密には企業の人事担当者)や大学側(大学の就職課)は今の時代で言う「Win-Win」の関係を構築できた時代もあった(ある意味牧歌的な幸せな時代であったが)。そしてその学閥で囲った人材(大卒の若者)を企業が手間暇かけてじっくりOJT(オンザジョブトレーニング…企業内での熟練した技能の習得)していった(それも幸せな時代であった)。
しかし周知の通り、今の時代大学という組織は優良な雇用先を斡旋できる組織ではなく、一方で企業もOJTをする経済的や時間的余裕は全くなく大卒では、いるはずのない即戦力を求めて、雇用形態も大卒の一括採用以外の人材雇用システムしか知らないので(とにかく失敗が怖いプリベンション志向なので)、雇用形態やその雇用に対する思考や価値観も極度に保守化していって(本来なら新たな雇用を考えなければならないのに)、どんどん社会全体が右寄りに保守的に硬直化している。日本に住んでいる国民の誰もが「今の世の中(雇用に限らず)社会の仕組みがおかしいよ!」「こんなの長く続く訳がない!」と言いつつこれ以外の成功体験を知らないから、それに盲従する→そして失敗する、というが(過去の成功体験から脱皮できず、その手段ではうまくいかないのに固執することを「成功の呪い」という)、その成功体験も四半世紀前であるし、旧来の硬直化した雇用形態に固執するのではなく、時代にみあった雇用環境を新たに創出する必要性がある。
今の時代それまで全く見向きもされなかった韓国映画や韓国人アイドルが「韓流スター」になり、文化の範疇に受け入れられなかった漫画も海外から逆輸入されコミケは集客が難しい現代ビジネスにおいて10万人規模の巨大化した産業になり「MANGA」カルチャーに発展していき、一部の特殊な世界の人の仕事であったスポーツも最も現金化に成功したサッカーを頂点に野球や格闘技、他の球技やモータースポーツも利益になったのである(詳しくは筆者のブログの「スポーツの現金化」アーカイブを見て下さい)。
80年代のバンドブームから音楽が産業になったように、90年代は他の娯楽が産業になっていった。今雇用の受け皿から溢れている若者は新しい雇用の受け皿(限られた小さなパイを学閥のしがらみで奪い合うのではなく)を新たに創出していくことが若者の貧困の問題解決や雇用問題には必要な感じがする。