7月に入って「スポーツの現金化」を少し休んで今の若者の貧困について考えているが、今読んでいる労働(仕事)の本で「日本社会が失敗に厳しくなく、むしろ寛容である」といった主旨の下りがあったが本当にそうなのか?と疑問符を付けざるを得ない。

その人の言う失敗に寛容というのは「入社して仕事を覚えていく段階での失敗」であって、「入社する前の就職活動での失敗」ではないのである。今の大学生(20代前半=いわゆる若者)は就職活動での失敗を極度に恐れ(その気持ちも分かるが)、本来だったら自分のキャパが広げられる大きな機会である海外留学も「就活で失敗したら自分の人生は終わりだ」という見えない恐怖と戦いがあるために、好条件で優秀な研究者がいる欧米の大学への留学や発展著しいアジアへの大学留学(将来経済発展する国の若き要人の卵との絶好のコネクション作りや繋がりのチャンスを)も蹴ってしまう話も多いという。少し古いデータだがハーバード大学に2009年に在籍していた日本人留学生はたったの5人だったという(ちなみに韓国は42人で中国は36人)。

この日本人の若者の極度なまでの内向きな志向(こういう内向きで消極的な志向を「プリベンション志向」というのに対し、前向きで積極的な志向を「プロモーション志向」という)はなぜなのか?若者がなぜ留学したがらないのか?

「今の大学生の子供を持つ家庭は経済的に厳しいからだ」という声もあるがそれは違う。昨今の留学の条件は前述の優秀な研究者がいる欧米の大学でも学費は勿論、中には(全部ではないが)滞在費の一部も面倒を見る大学もあって経済的困難から留学を諦めてるのではないことがわかる。

ならば何が日本の若者が自分で自分の可能性を閉ざすことに繋がっているのか?それがこの国に広く蔓延している「プリベンション志向」にあるように筆者には見える。留学に極度に消極的な若者を作る社会はある種のジリ貧に近い状態になる。アジアでも欧米でも日本人の優秀な学生を(ホスト国側が費用を身銭を切って払っても)呼びたくても笛吹けど踊らずで、結局それらの教育機関は他のアジア(中国や韓国)の留学生を招聘していくのである。かくしてかつてはアジアと言えば日本だったのが、今や中国や韓国の後塵に拝することになる。

こうした日本人の若者の消極的なプリベンション志向はどうなのか?若者がチャレンジできる場をどうやって構築するかである。それには世間でいう就職活動の仕組みを雇用者(企業)と働き手の斡旋者(教育機関)がしっかり話しあって構築するしかないのである。

しかしそう言いつつも、雇用者(企業)も斡旋側(大学)も「今までこうやってきたんだ」「これからも今まで通り若者の雇う方法は未来永劫これでいいんだ」と思考が硬直化して(悪い意味で)保守化している。その癖若者が留学という(留学が万能薬ではないが)自身を成長する機会を企業が摘み取っているのに「今の大卒は使えない」というのは矛盾である(もっと言えばその人事担当者の能力も疑問符がつく)。既存の大卒の雇用システムの在り方が制度疲労を起こし、採用方法が硬直化して若者が働けなくなっているのに、採用担当者は今までのやり方に固執している。そこに若者の貧困の落とし穴がある気がしてならない。

参考文献 リスクに背を向ける日本人 山岸俊男 メアリー・C・ブリントン (共著) 2010年 講談社現代新書