今月に入って若者の貧困の問題が若者だけの問題でなく、日本社会全体の問題であることを筆者(独眼鉄)は言い続けているが、前にも言った通り若者の貧困に対して既得権益を持っている年寄り世代が(少しキツい言い方だが)鈍感過ぎる感じがする。

前回同様に世界の近現代史を考えてみると、第二次世界大戦が終わった後に米ソ冷戦があり世界が資本主義か共産主義かと真っ二つに分かれた。その後ソ連の共産主義が組織を維持できず崩壊し、資本主義こそがグローバルスタンダードとして世界の共通した思想のような扱いで、この四半世紀時代の中心となっていった。

しかし(長くなったが)この資本主義という思想も、もう限界にきている感がある。「プロで問われるのは結果のみだ」という上層部の過激な掛け声のもと、激烈な競争社会と結果が出れば何でもありの時代になり、年間3万人を越える自殺者が10年以上続いた時期もあり(ここ数年は自殺者は3万人を下回っているが世界レベルで言えば日本は自殺者大国なのには変わりない)、そこまでいかなくても鬱病(うつ病)やその他精神疾患の患者が激増し、何度も言うように若者(若年層)の失業率も高止まりである。資本主義がイデオロギーとして消去法で現代社会で残った訳であるが、今の時代資本主義も人間社会を幸せにする正解ではないことはほとんどの日本人が気付いていることである。

そうした資本主義社会でのそれまでの「正解」は企業が利潤を上げて内部留保を高めることである。給与が増えるのも若者の労働者ではなく、一部の(一種の特権階級に近い)役員の報酬と株主の配当だけである。それが資本主義の正解であった。

しかし労働者の賃金が上昇しないということは、若者が子供を産むのを止める選択を泣く泣く選ぶしかなくなることであり、前回言った通り日本銀行券(いわゆるお札)というものの価値は子供が増えることとその子供が働く利益が保証するものである為に企業の内部留保が上がることは日本社会で幸せになる人が誰もいないことを指す。

それどころか労働者として正規雇用されればまだましなほうで、製造業でもサービス業でも非正規雇用で若者を使い捨てのように扱う企業が普通になり、働けなくなったらパーツを取り替えるような劣悪な働き方(労働環境)が当たり前になっている。

こんな劣悪な環境で子供が増えると既得権益を支配している老人世代(老人の全てがそういう人間とは思わないが)は本気で考えているのだろうか?

最初にソ連が崩壊した話を書いたが、ソ連が消滅して冷戦の超大国の通貨だったルーブルがある日からお金から紙屑同然になったのを筆者は子供時代のテレビで覚えているが、このままの仕組みだと円がルーブルの二の舞になる可能性もある。「そんなあるわけねぇだろ!円とルーブルを一緒にすんな!」と言う人は、それでは冷戦時代に超大国ソ連が崩壊するイメージができたか?と問いたい。日本の少子化を防ぐには無意味なサービス残業をやめて若者の正規雇用を促進し、若者にお金がある状況を作らなければならない。もしこのブログを読んでいる老人世代が「俺達の若い頃は…」と言いたければ言っても構わない。しかし古い労働の価値観やサービス残業・企業の内部留保しか考えてない資本主義時代の正解は少子化を加速させ、老人世代の最大の楽しみである年金を様々な角度から蝕む(若い労働者の減少・円のモアトリアム=通貨暴落)のである。過度に保守化した現代の資本主義社会の正解が年金や円という通貨を蝕むことは理解しなければならない。