最初に大学教育と雇用の関連性を書きたかったが、筆者の大学時代のトラウマが長くなって2つに分けて本題に入りたい(読者の方々すみません)。

長々と筆者のどうしようもない大学生活をつらつらと書き連ねてきたが、本題に入りたいが「これからの時代、(高校生以下の世代が)日本の大学に進学するのはぶっちゃけどうよ?」ということである。

結論を先にいえば「NO!」である。前編でも話したが日本の大学の授業はマスプロ授業(大人数教育)が主流であるが、本当にこんな大学で学力がつくのかが疑問である。

筆者も経験があるが大学の名前の看板に胡座を掻き(あぐらをかき)、自分の生徒達に自分の研究分野をより面白く伝えようとする努力を全くせずに(そのくせ自分は知的な特権階級だという半ば虚栄心に近いプライドを持ち)、生徒への対応より学内の教授会と自分の研究する分野の学会への立場のみに保身をしている教授を学内で沢山みてきた。これでは(このブログで他者を叩くようなことは避けたかったが)自身の研究への自慰行為と指摘されても仕方ないだろう。

そんな教授が山ほどいるのに自分の大学の生徒が内向きでチャレンジしないと言っても、肝心の教鞭をとっている人間が内向きだから当然といえば当然である。教鞭をとるものが組織内での利害関係に終始し、極度に内向きで硬直化した上に異様に保守的な今の大学に何百万円の授業料の価値があるようには筆者には見えない。

現代の大学教育が雇用の促進に繋がっているようには筆者には全く思えない。前にも言ったが今の18歳の半分は高等教育を(書類上)受けているが、しかしその高等教育に学歴以外の知的な付加価値がなく雇用に繋がってなければ、その高等教育の存在意義を第三者から指摘されて当然である。

秋田県にある国際教養大学は授業は全部英語で、授業が厳しいので4年での卒業は50%だが就職率はほぼ100%の大学とか、アジアの時代に対応する為にタイ語は勿論最近ではインドネシア語やベトナム語学科を新設した千葉県の神田外語大学、教授会の権限を無くした北九州市立大学など大学レベルで国内に優れた「教育」を施す大学もあるがまだ少数である。

今筆者は独学で韓国語や中国語を現地のワンピースや他のマンガで独自に勉強してるが(洋書な為めちゃくちゃ高く家計を逼迫しているが)、大学時代に中国語の教師に「独眼鉄は中国語に向いてない」と言われた大学時代を思えば今の生活は(経済的には厳しいが)天国である。

今の時代大学の名前に存在価値は薄く、大学に入っても卒業時に知的な付加価値が着いてなければ、企業は大卒を雇用はせずにいる。大卒の雇用を高める為には大学で知的な好奇心を高める教養を付加する少人数の授業が必要である。国内でしか通用しない偏差値教育で人材のガラパゴス化を進める受験をしているのに「本大学ではグローバルな人材を育てる…」と言っても全く説得力がない。もしこのブログを読んでいて大学の進路に悩む人がいるなら、偏差値を無視して本当に自分がやりたい勉強を考えて貰いたい。「大学生活を遊んで♪」と思っていたら、あっという間に四年間は過ぎ去り何の役にも立たない卒業証書だけが残り、就職のめどがたたなくなる。話しは脱線したが大卒の就職率を高めるには大学が変化して(難しいが)、徹底した知的な少人数の教養教育が必要である。大学教育の中身が変われば若年層の雇用も高まるはずである。