今までワールドカップ期間でもあり、ここ1ヶ月以上「スポーツの現金化」ばかりやっていたので、つい最近筆者(独眼鉄)のブログを見た人にとっては「なんだよ。いきなり雇用って?」と思われるかもしれないが、もともと筆者のブログでスポーツの現金化は様々なブログの方向性の一部にしか過ぎないので、そこはご容赦して貰いたい。

さて本題に入りたいが、先月たまたま今の大学生世代(世間では「ゆとり世代」と呼ばれている世代)の本を読んだが、本そのものも単なるマンネリ化した若者否定論ではなく、現代の20代全体の思考や価値観を忠実に抽出した面白い本だった。

ただその本をきっかけに今の日本の大学というのはどうなっているのか?、という疑問も同時に沸いてきた。

前にブログで書いたが(覚えている人はいないだろうが)筆者は大学でほとんど楽しい思い出がない。このブログで他者を否定することはなるだけ書かないようにしているが、母校含めて日本の大学に肯定的な感情は少ない。そのゆとり世代の本を読んだあと日本の大学についての本を乱読しているが、今の日本の大学に危機感を持って改革したい人はこぞって現代の大学の在り方に警鐘を鳴らしている。その指摘は当然のように感じた。

筆者が18年前に都内の某マンモス大学の経済学部に入学したのだが、最初のオリエンテーションまでは期待したが入学式初日にその後の大学生活に絶望したのを覚えている。

筆者は大学で韓国語を学びたかったが大学には全く相手にされず、体育会系の組織は授業そっちのけで練習しかせずに授業には顔を出さなかった。学内にある愛好者向けのサークルも、筆者の目から見ても楽ではあるがつまらなく楽しくないように見えた。

その上筆者の大学は超のつくマンモス大学な為に授業は教師1に対して生徒200のいわゆる「マスプロ授業」(大人数教育)で教授は当然生徒の顔は覚えられないし、また覚える価値もないと思われてた(事実授業に出てても教授は筆者の顔を覚えなかった)。

大学に行けば小中高とは違い好きなことができて楽しいと聞かされていたので、当時の落胆は異常でそれまで仲が良かった親子関係も一時期修復不可能になりかけた(運良く奇跡的に円満な関係に戻れたが)。

そんなキャンパスライフだったが故に(筆者の学校は体育会系の知名度のあるスポーツ選手が多数いるので)、親に「この選手はお前(独眼鉄)の大学の後輩だろ?」というけど、心理的には大学の同窓生は全く会ったことのない身内に聞かされてただけの遠い親戚の存在に近い。媚びを売る気はないがこのブログにペタを張ってくれる読者の方々のほうが(会ったことないが)遥かに親近感が沸く。自分の大学生時代とはそんな感じだった。(後編から本題に入りたい)―続 く―