今日(2014年6月13日)からブラジルでワールドカップが始まったのだが、今朝ラジオを聞いたらブラジルがネイマールが活躍していたらしく現地からの中継はかなり盛り上がっていたが、日本代表も1998年のフランス大会から5大会連続5度目のW杯の出場を果たし(2002年の日韓大会はホスト国での参加だったが)、日本代表と日本のサッカー界はアジアのサッカーの中でも一つ頭が抜きん出た存在になっている(前述のブラジル代表の開幕戦の審判団も日本の審判だった)。日本のサッカーも今W杯で盛り上がっている報道であるが、選手だけでなく(2010年の南アフリカ大会の岡田武史監督のベスト16もそうだが)監督やコーチ、審判も世界で戦えて裏方は世界のサッカー界から必要とされ、重宝される存在になりつつある。
しかしそんな日本のサッカー界でW杯で一番乗りしたものは何なのかご存知の方はいるだろうか?「W杯で一番乗りしたのはさっきも言ってた日本代表が1998年にフランス大会に初出場した時だろう!」と言う人もいるだろう。確かにそれは間違いではないがW杯に日本で一番最初にデビューしたのは他のものである。それを紹介したい。
ここまで筆者の今日のブログを読んで察しのついた人もいるかも知れないが(知られた話でもあるので)、W杯で一番最初にデビューしたのは、そう「笛」である。
今日の開幕戦でブラジル戦を裁いた西村雄一主審もおそらくこの試合で使っていたであろうサッカーの試合で主審が使う笛が日本がW杯で一番最初にデビューしたものである。
このサッカーの試合で主審が使う笛を作っているのは野田鶴声社(のだかくせいしゃ)という東京都葛飾区にある町工場でもともとハーモニカを作っていたがアメリカ人バイヤーからホイッスル(笛)の受注があり試行錯誤をして作ることになったのがきっかけである。
野田鶴声社がホイッスルを作るようになった当初は市場はイギリスの独壇場で手探りのスタートだったが、徐々に品質の高いホイッスルが作れるようになり北米で約35万個も輸出できるようになった。
しかしベトナム戦争や為替が変動相場制になり円高になり、野田鶴声社は市場を北米から欧州にシフトした。当初は品質で劣る香港や台湾製のホイッスルを価格が安いから使っていたバイヤーもいたが、野田鶴声社は1973年に旧西ドイツの国際スポーツ用品見本市に野田のホイッスルを出品し同地で高い評価を受け、のちにフランス警視庁やNATO軍でも野田のホイッスルは使われた。
そして野田鶴声社のホイッスルが世界に轟いたのはサッカーである。1978年の西ドイツのブンデスリーガで同リーグの推奨品として野田のホイッスルが認められ、1982年のW杯スペイン大会で公式採用。1986年のメキシコ大会では同地のブブゼラの音にホイッスルの音が消される懸念もあったが杞憂に終わった。そしてJリーグ発足時に逆輸入されて日本に来たのである。
サッカーの国際審判である岡田正義氏はフランス大会でこの笛を吹き野田鶴声社はますます有名になったが、岡田氏曰く野田のホイッスルは吹けばその品質の違いが歴然としていて香港や台湾製品とはコルクの部分に品質の違いがあるという。他の製品がどれだけ安価でも野田のホイッスルの方がサッカーの審判には好評である(余談だが野田のホイッスルはラグビー・バレーボール・水泳でも使用されている)。
これから始まるW杯で審判が金メッキの笛なら野田のホイッスルだと言う。試合中に審判にも注目してみよう。
参考文献 世界が認める優良企業 知られざる日本の実力 エディターズ・キャンプ著 2013年 サプライズBOOK
しかしそんな日本のサッカー界でW杯で一番乗りしたものは何なのかご存知の方はいるだろうか?「W杯で一番乗りしたのはさっきも言ってた日本代表が1998年にフランス大会に初出場した時だろう!」と言う人もいるだろう。確かにそれは間違いではないがW杯に日本で一番最初にデビューしたのは他のものである。それを紹介したい。
ここまで筆者の今日のブログを読んで察しのついた人もいるかも知れないが(知られた話でもあるので)、W杯で一番最初にデビューしたのは、そう「笛」である。
今日の開幕戦でブラジル戦を裁いた西村雄一主審もおそらくこの試合で使っていたであろうサッカーの試合で主審が使う笛が日本がW杯で一番最初にデビューしたものである。
このサッカーの試合で主審が使う笛を作っているのは野田鶴声社(のだかくせいしゃ)という東京都葛飾区にある町工場でもともとハーモニカを作っていたがアメリカ人バイヤーからホイッスル(笛)の受注があり試行錯誤をして作ることになったのがきっかけである。
野田鶴声社がホイッスルを作るようになった当初は市場はイギリスの独壇場で手探りのスタートだったが、徐々に品質の高いホイッスルが作れるようになり北米で約35万個も輸出できるようになった。
しかしベトナム戦争や為替が変動相場制になり円高になり、野田鶴声社は市場を北米から欧州にシフトした。当初は品質で劣る香港や台湾製のホイッスルを価格が安いから使っていたバイヤーもいたが、野田鶴声社は1973年に旧西ドイツの国際スポーツ用品見本市に野田のホイッスルを出品し同地で高い評価を受け、のちにフランス警視庁やNATO軍でも野田のホイッスルは使われた。
そして野田鶴声社のホイッスルが世界に轟いたのはサッカーである。1978年の西ドイツのブンデスリーガで同リーグの推奨品として野田のホイッスルが認められ、1982年のW杯スペイン大会で公式採用。1986年のメキシコ大会では同地のブブゼラの音にホイッスルの音が消される懸念もあったが杞憂に終わった。そしてJリーグ発足時に逆輸入されて日本に来たのである。
サッカーの国際審判である岡田正義氏はフランス大会でこの笛を吹き野田鶴声社はますます有名になったが、岡田氏曰く野田のホイッスルは吹けばその品質の違いが歴然としていて香港や台湾製品とはコルクの部分に品質の違いがあるという。他の製品がどれだけ安価でも野田のホイッスルの方がサッカーの審判には好評である(余談だが野田のホイッスルはラグビー・バレーボール・水泳でも使用されている)。
これから始まるW杯で審判が金メッキの笛なら野田のホイッスルだと言う。試合中に審判にも注目してみよう。
参考文献 世界が認める優良企業 知られざる日本の実力 エディターズ・キャンプ著 2013年 サプライズBOOK