周知のように昨年(2013年)9月にIOC総会で2020年の夏期オリンピックの開催都市が東京になったことが決定した。2020年に自分がどうなっていて何をしているか想像できないが(笑)、6年後の東京五輪が楽しみでもある。

しかし冒頭のタイトルでもあるように、今でこそオリンピックは世界中の大都市や自治体がこぞって招致活動をしているが、昔は(今では想像つかないが)全く人気がなく赤字を垂れ流す不人気イベントだったのである。

そもそもオリンピックが赤字の垂れ流しイベントから黒字が達成するメガスポーツイベントに転換したのは1984年のロス(ロサンゼルス)五輪からである。それまでの五輪というのは大会そのものの意義はあっても収益は全く出てなかった。

1972年のミュンヘン五輪では8人のパレスチナゲリラが選手村に乱入し、イスラエル選手団の2人を射殺し9人の人質にして立て籠り、最終的に逮捕されたゲリラ3人を除くゲリラ・人質全員が死亡する最悪の結末になった。1976年のモントリオール五輪では当初の予算を10億ドルも上回る費用がかかり市の財政を圧迫した上に、人種差別をした南アフリカと(五輪とは別の)ラグビーの試合で対戦したニュージーランドに対して抗議する意味で同五輪ではアフリカの22ヶ国がボイコットした経緯がある。そして1980年のモスクワ五輪では有名な西側諸国のボイコットがあった。このボイコットはアメリカのカーター大統領がソビエトのアフガニスタン派兵に対して抗議をする意味で西側の超大国のアメリカがまずボイコットしたが、その後日本や西ヨーロッパの各国もそれに同意した経緯があった。このモスクワ五輪のボイコットは日本のスポーツが政治に屈した屈辱的な出来事として捉えられ、日本の政界でもこの出来事を(同五輪から30年以上経った今でも)引き摺っている関係者もいる一方で、JOCとしてはそれまでの政府からの補助金カットや助成金を頼みとした運営から、日本体育協会から独立して財団法人化し、経済的な自立した道を歩むことになった。

こうした五輪が政治的にも経済的にも課題があったイベントを黒字化させたのはロス五輪で同大会の大会組織委員長に抜擢された実業家のピーター・ユベロス氏である。ユベロス氏は旅行会社を保有していたが、それを売却しロス五輪の運営にあてた。彼はスポンサーシップの世界に「独占」という概念を導入し、産業分野ごとにスポンサーシップを1社に独占的に与える「オフィシャルスポンサーシップ制度」を取り入れ、スポンサーシップ料を最低400万ドルに引き上げたのである。テレビの放映権料も1社のみ与え競争入札の結果、ABCが2億5500万ドルという巨額の放映権料で契約を勝ち取ったのである。こうしてユベロス氏は大赤字だった五輪を米国・カリフォルニア州・ロサンゼルス市からの税金を1セントも使うことなく成功させたのである(余談だがユベロス氏はロス五輪の成功からMLBのコミッショナーに抜擢された)。

こうして見ると今でこそ「五輪招致レース」という言葉もあるくらい五輪は経済的にも政治的にも人気イベントだったが昔は苦い歴史があったのである。

参考文献 コリアンスポーツ<克日>戦争 大島裕史 2008年 新潮社

勝負は試合の前についている! 米国スポーツビジネス流「顧客志向」7つの戦略 鈴木友也 2011年 日経BPマーケティング