今日(2014年6月3日)にブラジルW杯の本大会の為にアメリカ・フロリダ州はタンパでコスタリカ代表と戦った日本代表であるが、ネット絶ちをして今この前哨戦を見ていた。

結果云々についてはこのブログの読者でまだ結果を知らない人もいるかもしれないので言及しないが、今の日本代表は2000年代のW杯当時ではまだそれほど数はいなかったヨーロッパ組もブラジル大会での日本代表ではチームの約半数近くを占めている時代にもなっている。

しかしそんなW杯で世界最高峰の戦いに挑む代表組の選手達もキャリアの初期は意外とJ2経験組がいるのも事実である。

ブラジル大会の日本代表の10番をつけているマンUの香川真司も、もとはと言えばセレッソ大阪出身で当時のセレッソはJ1の賞金圏内や優勝争いに食い込める年もあれば、J2に降格したこともある年もあって「ジェットコースタークラブ」と揶揄された時期もある極端な成績のクラブで(今やJ有数の育成力クラブになったが)、そのセレッソの成績が底(J2)の時に香川がプロのキャリアをスタートさせたのである。J2というリーグは相手の持ち味を消す戦いをする意味ではJ1以上のリーグと言われていて、そういうタフなリーグでキャリアを開始できたのは今の香川を考えると幸運だったのかもしれない。

他にもブラジル大会のW杯戦士には同じセレッソ出身の柿谷曜一郎がいる。柿谷は潜在能力ではかなり輝くものがあったが、遅刻の常習犯で素行を問題視され、クラブから一時J2の徳島(当時)にレンタルされた時期もあった。しかし柿谷はここでサッカーでも私生活でもタフな環境で揉まれ、持ちうる才能を開花してセレッソに戻りザッケローニ監督からW杯戦士として招集され、彼もまた世界最高峰の戦いに挑むのである。

他にもブラジル大会ではサプライズでの招集をされた大久保嘉人(川崎F)もいる。大久保もスペインリーグなどを経て日本に帰国後セレッソや神戸に在籍してJ2通算29試合出場18得点をマークしている。

J2を経験したW杯戦士は他にもいる。お隣の韓国代表の朴智星(パク・チソン)である。朴は韓国の高校卒業後(一時は韓国の大学にも在籍)、19歳でJ2の京都サンガに入団。そこで当時京都に在籍していたキングこと三浦知良とチームメイトになり、朴は「カズさんにプロのイロハを教わった」と言う経験をJ2で経験し、W杯に3度出場しマンUでも活躍した。朴の才能の開花もJ2からである(彼は確か代表は引退したが)。

こうして見ると今のW杯戦士達もプロとしての巣立ちの時は日本のJ2からだった。J2というリーグも(今のジェフがそうだが)一度嵌まると抜け出せない底なし沼のようなリーグである。しかしそこから這い上がった選手は欧州のトップと肩を並べるぐらいの潜在能力の開花させるリーグでもある。

参考文献 Dear Kazu 僕を育てた55通の手紙 三浦知良 2011年 文藝春秋