このブログでもよく野球のネタが出てくるので、筆者(独眼鉄)のブログの熱心な読者ならある程度分かるだろうが、今でこそ日本のプロ野球で投手でも野手でもある程度実績を挙げた選手がメジャーリーグに挑戦するのは不思議でも何でもない時代になったが、メジャーに挑戦できるようになったのは1995年にパ・リーグに当時在籍していた野茂英雄が所属球団との交渉が決裂して、日本球界という退路を断ってロサンゼルスドジャースに入団し、その年の新人王を獲りアメリカ球界に日本人選手はメジャーでも通用するという認識ができてからで、戦後70年の日本球界の歴史の中でも20年足らずというごくごく最近の出来事なのである。

そうして1990年代後半から日本人選手がメジャーにどんどん挑戦するようになったが、メジャーにも全米に30球団もあるので日本人選手にとって相性のいい球団もあれば相性が悪い球団もあるのも事実である。それを考えてみたい。

基本的にメジャーリーグは一都市に一球団が原則だが、シカゴと共に例外になる球団がヤンキースと同じ街にあるニューヨークメッツである。メッツは同じ街に全米一の富裕球団であるヤンキースがあるもののメッツもまた世界最大の金融・経済・文化の中心であるニューヨークが拠点にある球団なので、こちらも富裕球団である。またメッツはヤンキースほど格式や伝統、歴史の縛りがないので日本人選手が入り易い球団でもある。

しかしその入り易い球団であるメッツも日本人選手にとって相性のいい球団かというとそうでもなく、むしろ鬼門のような球団である。

2003年オフにFA権を獲得→行使して3年2300万ドルの大型契約をした松井稼頭央も、1年目から天然芝の対応の遅れが見られ遊撃手から二塁手へコンバートされ、また「期待通りの活躍ができてない」という理由で契約解除され2006年にはコロラドロッキーズに放出された。

松井以外の選手を見てもメッツは鬼門である。松井以外でメッツに2005年までに在籍したのは柏田貴史(1997年)、野茂英雄(1998年)、吉井理人(1998年・1999年)、新庄剛志(2001年・2003年)、小宮山悟(2002年)、石井一久(2005年)の6人。これら7人の平均在籍期間が1.6年とメッツは選手集めも熱心だが、見切りも早い球団ということも分かる球団である。

またニューヨークの報道機関は全米一の辛口の報道を(野球以外の全てのジャンルでも)するところで有名である。仮に勝利投手になっても「もっと制球が良ければ完投できた」と言われ、完投できても「四死球がなければ完封できた」と言われ、完封できても「終盤に打ち込まれたのは良くない」と執拗さ辛辣さではニューヨークの報道機関は本当に凄い。

メッツはヤンキースに比べて歴史も伝統も劣っていて、80年代は一時期良かったが90年代以降はまた遅れをとった球団で、色々な外的・内的要因が重なってメッツは短期的に結果を求める球団になった。日本人選手もメジャーに憧れるのもいいがメジャーの球団の質も考慮した方がいいだろう。

参考文献 メジャーリーグに日本人選手が溢れる本当の理由 鈴村裕輔 青春新書 2007年