近年は高校から大学に入学して、そこから一般企業に入社する。それが当たり前だったのが今の時代その当たり前が贅沢な夢になってきている。そもそも今の20代前半の若い大学生はそれ相応の高等教育を受けてきていて、世界的に見てみても同年代の外国人と比較してみてもかなりのエリート集団のはずである。しかし今の大学生は就職できていない。本来なら大学の就職課や教授陣、教員に何かしら問題があるはずである。今の大学生は高等教育を受けているのである。雇用されるべくしてされる、それに値する人材なのである。なのに今の大学生は就職できない。筆者(独眼鉄)はそこに大きな疑問を感じる。それを今回は考えたい。
前述のように今の20代前半の若い世代はだいたい大卒かもしくは専門卒、最低でも高卒はしているのである。それは世界的に見れば高等教育のエリートである。昔は旧学制で高等小学校(今の小学校)に行ければ上出来で、日本も近代化してすぐの頃は子供=単純作業の為の労働力という時代があり、学校に行く=贅沢という時代もあった。しかしそれが近代化以降、社会が単純労働より頭脳労働を優先せざるようになり、子供が労働力から教育の対象になり、子供から(労働力として)一家の収入の足しから教育費として家計の支出の対象になり、資本が逆流するようになり先進国では(特に第二次世界大戦後に急速に先進国の仲間入りをした日本も含めた東アジアの儒教圏は)急速に少子化が進んでいった。
しかし子供が労働力から教育の対象になり、世界的にみてもかなり贅沢な子育てをしても現代の日本では教育のコストとベネフィットの貸借対照表の収支がフィットしていないように見える。もっといえば大赤字に見える。
なぜ今の日本の教育は赤字なのか?なぜ今の日本の大学生は就職できないのか?それは今の日本の教育が複写機のように丸暗記したことをどれだけ早く多く制限時間内に発表できるか?という前時代的な教育で止まっているからである。以前アメリカの政治学者で日本の野球に先駆的に研究してきたコラムニストのロバート・ホワイティング氏が「(日本の野球選手に対して)丸暗記は日本人の最大の長所にして最大の短所である」と言っていたが、この指摘は正しいと筆者(独眼鉄)も考える。
話を野球から教育に戻すと、今の日本の教育はどれだけ暗記できるかが肝の教育である。勿論暗記が必要な仕事は役者やお笑い芸人などあるにはある。しかし皆が役者になる訳ではない。
今の時代社会や雇用する側のニーズは丸暗記の量が多い人材ではなく、クリエイティブな発想力があり個人の力が強くなった現代社会において、その個人と個人の間をくっつける接着剤になれるような人材である。しかし今の日本の高等教育は形骸化した平等を重視していて、いまだに丸暗記教育を重視している。そういう人材が求められていたのは90年代位まででインターネットが普及した現代では必要とされていないのである。
本来大学生の就職率が低いのには大学の教授や教員、就職課にも問題があるはずである。それなのに大学生ばかり矢面にたっているのに筆者(独眼鉄)は違和感を感じる。小手先の受験テクニックをどうこう言う前に教育の世界は企業が求める人材のニーズを考えるべきである。
前述のように今の20代前半の若い世代はだいたい大卒かもしくは専門卒、最低でも高卒はしているのである。それは世界的に見れば高等教育のエリートである。昔は旧学制で高等小学校(今の小学校)に行ければ上出来で、日本も近代化してすぐの頃は子供=単純作業の為の労働力という時代があり、学校に行く=贅沢という時代もあった。しかしそれが近代化以降、社会が単純労働より頭脳労働を優先せざるようになり、子供が労働力から教育の対象になり、子供から(労働力として)一家の収入の足しから教育費として家計の支出の対象になり、資本が逆流するようになり先進国では(特に第二次世界大戦後に急速に先進国の仲間入りをした日本も含めた東アジアの儒教圏は)急速に少子化が進んでいった。
しかし子供が労働力から教育の対象になり、世界的にみてもかなり贅沢な子育てをしても現代の日本では教育のコストとベネフィットの貸借対照表の収支がフィットしていないように見える。もっといえば大赤字に見える。
なぜ今の日本の教育は赤字なのか?なぜ今の日本の大学生は就職できないのか?それは今の日本の教育が複写機のように丸暗記したことをどれだけ早く多く制限時間内に発表できるか?という前時代的な教育で止まっているからである。以前アメリカの政治学者で日本の野球に先駆的に研究してきたコラムニストのロバート・ホワイティング氏が「(日本の野球選手に対して)丸暗記は日本人の最大の長所にして最大の短所である」と言っていたが、この指摘は正しいと筆者(独眼鉄)も考える。
話を野球から教育に戻すと、今の日本の教育はどれだけ暗記できるかが肝の教育である。勿論暗記が必要な仕事は役者やお笑い芸人などあるにはある。しかし皆が役者になる訳ではない。
今の時代社会や雇用する側のニーズは丸暗記の量が多い人材ではなく、クリエイティブな発想力があり個人の力が強くなった現代社会において、その個人と個人の間をくっつける接着剤になれるような人材である。しかし今の日本の高等教育は形骸化した平等を重視していて、いまだに丸暗記教育を重視している。そういう人材が求められていたのは90年代位まででインターネットが普及した現代では必要とされていないのである。
本来大学生の就職率が低いのには大学の教授や教員、就職課にも問題があるはずである。それなのに大学生ばかり矢面にたっているのに筆者(独眼鉄)は違和感を感じる。小手先の受験テクニックをどうこう言う前に教育の世界は企業が求める人材のニーズを考えるべきである。