以前ある知り合いからのつてでドキュメンタリー映画で福岡県の三池炭鉱の炭鉱夫の映画を見たことがある。その映画は第二次世界大戦後の日本で最初に出てきた石炭の採掘が国家の基幹産業になるという話から、そこから先進国は石油に頼る仕組みにシフトしていき、それまで働いてきた炭鉱夫が失業していくという国家の経済政策に翻弄されていった労働者を追った悲しいドキュメンタリー映画であった。

その映画の中で(以前にも言ったかもしれないが)今とは比較にならないほど影響力があった国立大学(当時の帝国大学)の教授が「石炭はあと200年はもつ」と言っていて、当時の最尖鋭の経済学者による経済予測によって当時の九州には多くの若い男性が集まってきたのである。

勿論周知のように石炭というのはエネルギー産業の中心だった頃は「黒いダイヤ」と呼ばれたのが黒い土くれになってしまい、石炭目当てに集まった若い労働者は失業者になってしまい、また当時は20代後半から30代前半(今のアラサー)で中年扱いになってやり直しが難しくなっていった(今だと考えられないが)。

そうした国家の重要な雇用にリンクする経済予測も、近代に入り経済学というジャンルが確立されて何百年と経っているが意外と影響力がある割にはよく外れるものである。

また国家のエネルギー政策というのは、前述のようにその動向が多くの雇用を産出する重要な懸案にも関わらずよく外れるのは他にも文明の加速的な発展もリンクしてくる。石油を例にとって見てみると石油自体ある海域で大量に眠っているのが鉱山学の関係者の調査からわかっても、その油田に石油があってもその石油の中に砂が混じっていて(当時の石油精製技術だと)ガソリンや他の石油製品に加工できないという問題もあった。しかし近年の文明の加速的な発展によって、それまでの(当時の)技術なら出来なかった石油精製も新技術で精製可能となる訳である。そのためそれまで残りの石油埋蔵量にカウントされていなかった石油が眠っていた油田も、新しく採掘可能な油田として扱われて新たな油田の発見と同義として扱うことになる。

そのためそれまでの使用不可能な油田が使用可能になることによって、必然的に人類が採掘可能な油田がどんどん増えていき、それによって埋蔵量も加算されていく。その為埋蔵量がそれまで石油を使用した量が増えていっても、新たに採掘可能な油田も出来てくるので残りの埋蔵量全体は昔に比べて(当時の予測より)減りが少なくなるのである。

こうした流れから今も昔も文明の進化や不確定要素の多さにより経済予測は外れるのが多いのである。