筆者がブログを始めて約10ヶ月。その中心的テーマとなる「スポーツの現金化」も今日で100回目となる訳だが、この国のほとんどの人がそういう事には関心はないだろう。しかし今回が節目の事なので前々から温めていたテーマを今回は発表しようと思う。
筆者(独眼鉄)は基本的にテレビゲームの類いの遊びを(少なくとも今は)全くやっていない。勿論ゲームが趣味の人を否定する気は毛頭ないが、そういう世界で生きている人間なのでタイトルの「サカつく」(プロサッカークラブをつくろう!)というゲームも周囲のゲームをやる人から間接的に聞くぐらいだが、筆者はこのブログでスポーツとお金との繋がり、謂わばロマン(スポーツ)とそろばん(お金)の事をずっと調べていたので(このブログのヘビーユーザーはわかるだろうが)その費用の捻出の苦しみを書きたい。
今年(2014年)から日本のサッカーのカテゴリーに新たにJ3が生まれ、直接比較は難しいがリアル「サカつく」(現実のプロサッカークラブ)を作るのに一番厳しい難所が地域リーグ(当時4部)→JFL(当時3部・現在のカテゴリーでは4部)が最も難しいと言われていた。
1990年代後半から2000年代前半にかけてJリーグ百年構想が叫ばれ、多くの地方都市でJリーグ入りを目指すクラブが生まれた。しかしスポーツチームの運営には金がかかる。国内外のプロバスケリーグのように一つのチームに保有できる選手が15人前後のチームならともかく、サッカーの場合33~35人の保有人数がありチームの一回の移動でも(この移動費が一番の金食い虫)裏方や首脳陣入れて30人の費用を捻出しなければならない。しかもホームゲームは繰り返し言うが月3日あればいいほう。その為ワールドカップのような華やかな世界とは別に国内のクラブではJ2クラブでも財政危機の話は枚挙にいとまない。
その前述のチームの移動費や選手や首脳陣の給与を地域リーグの利益の出ないサッカーチームには地元のパトロンのような有志やサッカー馬鹿(敬意を込めて)の人が総額数千万円に届くぐらいの金額を自分のクラブに文字通り身銭を切って支えているのである。
その中でも特に凄かったのが大分トリニータの元社長である溝畑宏氏であろう。彼の名はその特異なキャラクターと経緯でメディアを通じて世に有名だが、彼は東大から自治省のキャリア官僚で大分に出向し、その出向先の大分でサッカーと出会いプロサッカーチームの運営の為に自治省の役職のポストを蹴り、妻とは別れ、最愛の母との死に目にも立ち会えず、私財をトータルで1億円近い金をトリニータの為に費やしたのである。しかしそんな溝畑社長も2009年のナビスコカップで優勝するも翌年にはチームの不調からクラブが財政破綻になり解任という形でトリニータを離れるのである。優勝劣敗の世界とはいえあまりに悲しい世界である。
溝畑社長の社長業の苦闘は筆者のブログの2014年1月18日号(スポーツの現金化・その60・「GMはホールドアップされ社長の尻には火がついた」)参照であるが、上方落語の重鎮桂米朝は落語の道について「芸人になるかぎりは、末路哀れは覚悟の前やで」と言って好きなことを商売にして、面白おかしく生きるのだったら惨めな老い先を覚悟しなければならないということだが、ある意味スポーツの世界も同様である。自分の好きなスポーツを作るリアル「サカつく」の費用は膨大な価格であり、行く道は修羅場である。ある地域リーグのフロントが「進む(昇格)も地獄、戻る(降格)も地獄。同じ地獄なら前に進むほうがまだマシ」と言ったがサッカービジネスとは修羅の道である。
参考文献 股旅フットボール 地域リーグから見たJリーグ「百年構想」の光と影 宇都宮徹壱著 2008年 東邦出版
社長・溝畑宏の天国と地獄 大分トリニータの15年 木村元彦著 2010年 集英社
お知らせ 今まで筆者(独眼鉄)は「スポーツの現金化」を中心にブログを進めてきましたが今回で100回になって、そろそろ一時期書いていた「雇用」や他のテーマも考えているつもりです。向こうしばらくはあまり変わらないかもしれませんがご了承下さい。錦糸町の独眼鉄
筆者(独眼鉄)は基本的にテレビゲームの類いの遊びを(少なくとも今は)全くやっていない。勿論ゲームが趣味の人を否定する気は毛頭ないが、そういう世界で生きている人間なのでタイトルの「サカつく」(プロサッカークラブをつくろう!)というゲームも周囲のゲームをやる人から間接的に聞くぐらいだが、筆者はこのブログでスポーツとお金との繋がり、謂わばロマン(スポーツ)とそろばん(お金)の事をずっと調べていたので(このブログのヘビーユーザーはわかるだろうが)その費用の捻出の苦しみを書きたい。
今年(2014年)から日本のサッカーのカテゴリーに新たにJ3が生まれ、直接比較は難しいがリアル「サカつく」(現実のプロサッカークラブ)を作るのに一番厳しい難所が地域リーグ(当時4部)→JFL(当時3部・現在のカテゴリーでは4部)が最も難しいと言われていた。
1990年代後半から2000年代前半にかけてJリーグ百年構想が叫ばれ、多くの地方都市でJリーグ入りを目指すクラブが生まれた。しかしスポーツチームの運営には金がかかる。国内外のプロバスケリーグのように一つのチームに保有できる選手が15人前後のチームならともかく、サッカーの場合33~35人の保有人数がありチームの一回の移動でも(この移動費が一番の金食い虫)裏方や首脳陣入れて30人の費用を捻出しなければならない。しかもホームゲームは繰り返し言うが月3日あればいいほう。その為ワールドカップのような華やかな世界とは別に国内のクラブではJ2クラブでも財政危機の話は枚挙にいとまない。
その前述のチームの移動費や選手や首脳陣の給与を地域リーグの利益の出ないサッカーチームには地元のパトロンのような有志やサッカー馬鹿(敬意を込めて)の人が総額数千万円に届くぐらいの金額を自分のクラブに文字通り身銭を切って支えているのである。
その中でも特に凄かったのが大分トリニータの元社長である溝畑宏氏であろう。彼の名はその特異なキャラクターと経緯でメディアを通じて世に有名だが、彼は東大から自治省のキャリア官僚で大分に出向し、その出向先の大分でサッカーと出会いプロサッカーチームの運営の為に自治省の役職のポストを蹴り、妻とは別れ、最愛の母との死に目にも立ち会えず、私財をトータルで1億円近い金をトリニータの為に費やしたのである。しかしそんな溝畑社長も2009年のナビスコカップで優勝するも翌年にはチームの不調からクラブが財政破綻になり解任という形でトリニータを離れるのである。優勝劣敗の世界とはいえあまりに悲しい世界である。
溝畑社長の社長業の苦闘は筆者のブログの2014年1月18日号(スポーツの現金化・その60・「GMはホールドアップされ社長の尻には火がついた」)参照であるが、上方落語の重鎮桂米朝は落語の道について「芸人になるかぎりは、末路哀れは覚悟の前やで」と言って好きなことを商売にして、面白おかしく生きるのだったら惨めな老い先を覚悟しなければならないということだが、ある意味スポーツの世界も同様である。自分の好きなスポーツを作るリアル「サカつく」の費用は膨大な価格であり、行く道は修羅場である。ある地域リーグのフロントが「進む(昇格)も地獄、戻る(降格)も地獄。同じ地獄なら前に進むほうがまだマシ」と言ったがサッカービジネスとは修羅の道である。
参考文献 股旅フットボール 地域リーグから見たJリーグ「百年構想」の光と影 宇都宮徹壱著 2008年 東邦出版
社長・溝畑宏の天国と地獄 大分トリニータの15年 木村元彦著 2010年 集英社
お知らせ 今まで筆者(独眼鉄)は「スポーツの現金化」を中心にブログを進めてきましたが今回で100回になって、そろそろ一時期書いていた「雇用」や他のテーマも考えているつもりです。向こうしばらくはあまり変わらないかもしれませんがご了承下さい。錦糸町の独眼鉄