少し前に「放っておいても明日は来る~就職しないで生きる9つの方法~」(高野秀行著・本の雑誌社・2009年)という本でミャンマーでランド(現地の旅行会社)を経営している金澤聖太(かなざわしょうた)さんという人がミャンマーでの現地の少数民族での辺境旅行ビジネスの特徴や観光客の性質のようなものを、その本の中で著者で冒険作家の高野秀行さんと対談形式で話しあっていた。

その本の中でミャンマーでは国軍も警察も役人も日本ほどしっかりシステム化されておらず、リベートを要求するような国での観光で金澤さんはそういう一筋縄ではいかない国での辺境旅行ビジネスの難しさをこの本のなかで吐露していた。

そのなかで金澤さんは辺境旅行ビジネスの性質を分析して「元々辺境旅行というのは料金が高いんですよ。それと日本での感覚だとお金を払ったら楽をできると思うじゃないですか。でも辺境旅行はお金を払って苦労するんですよ。そういう感覚は日本人にはないですよね」「(顧客である欧米人は)知的レベルも生活レベルも高い人たちですか?(高野)」「間違いないと思います」というやりとりがあった。今言ったように辺境旅行というのはお金を払って楽をするのではなく、お金を払って苦労するのである。そういうことができるのは知的レベルの高い本当の意味でのブルジョアの娯楽なのである。

この話を聞いて思いついたのが東京マラソンである。今月(2014年2月)に東京マラソンが今年も開催されるが東京マラソンもまたお金を払って苦労する本当の意味での知的レベルの高い娯楽の代表格になりつつある。東京マラソンも参加するには10000円ぐらいの参加費用(具体的な金額は知らないが倍率が10倍ぐらいあるし)がかかって、仕事や家庭・余暇の時間をやりくりして42.195kmを完走するという、お金を払って苦労するという知的レベルの高い娯楽に日本人全体が関心が高まっているのである。

先日ある宗教学の本を読んで「毎日がハレ(祝祭)ではつまらない。日々の単調な生活をして禁欲をして、お祭りで禁欲を解放する。これが一番の快楽だ」と言っていたが、ミャンマーへの辺境旅行でも東京マラソンでもその「娯楽」の中で禁欲的になって欲求やストレスを心の中に内包して、旅行が終わった時や(マラソンなら)ゴールした時に禁欲から解放される。お金を払って苦労してストレスや欲求を心の中に意図的に蓄積してゴールして一気に吐き出す。お金でどうにかなる欲求より、お金を払って苦労する禁欲から解放される娯楽が一番気持ちいいのかもしれない。東京マラソンの人気も日本人の知的レベルがそれだけ上がったのかもしれない。