筆者(独眼鉄)もボクシングの世界の末席を汚して18年、その前の2~3年を含めれば20年以上ボクシングの世界にズブズブと嵌まり(はまり)こんでいるが、最近チケットを買って見たいと思う試合が無いのである。

筆者がボクシングの世界を知ったのは1990年代の終わり頃であったが、その頃は身の程知らずにボクシングは「観戦する」というより「てっぺんを獲る」という発想の方が強かったが(苦笑)、その後競技者としてボクシングという競技をやるも結局一試合もせず引退してしまった。

その後自分にとっての聖書とでも言うべき「はじめの一歩」も売り払い一時はボクシングと決別した時期もあった。しかし2005年に日本タイトルをテレビの録画観戦し自分(独眼鉄)と日本のトップレベルとの圧倒的な実力差に気付かされ(はじめの一歩も買い戻し)、そこからボクシングが「見て楽しむ」ものになった。

ここまで長々と自分とボクシングの関係を書いてきた訳だが何が言いたいかと言うと「見たい試合が無い」のである。ボクシングのチケットはどんなに安くても3000円スタートで(筆者のブログの2013年9月30日の記事「ボクシング界のスダグフレーション」に関連記事あり)、プロ格闘技全体がスポーツのチケット自体が割高なのだが、今のボクシング界にその3000円以上のチケット代を払ってまで見たいワクワク感が湧いてこないのである。

丁度20年前の「はじめの一歩」で輸入ボクサー(日本のリングで戦う外国籍ボクサー)が2連敗して母国に強制送還されるシーンがあったが、その時ジムの会長が「プロボクサーに問われるのは結果のみ。2連敗。すでに商品価値は薄れている」と言っていたが(丁度その時期がサッカーのドーハの悲劇の時期とかぶっていたのもあったが)、ボクシングという競技のみならずメジャーマイナー問わずここ20年結果至上主義が氾濫した。

しかし(作者の森川ジョージを否定したい訳では無い。彼はボクシング界の現実を表現しただけだが)翻って20年経って今のボクシング界の試合はその問われる「結果」がどうでもいい試合ばっかりになって、先に言ったように3000円以上のチケット代に値するワクワク感が湧き起こってこないのである。最近相撲を見ていて遠藤の取組を見ていて負けても面白いと思える取組があったが、今ボクシング界に必要なのは結果よりも会場に来てくれたお客様をワクワクさせることではないか?極端な話、今の時代日本国民のほとんどは日本に世界王者が何人いるかなんて興味は無いと思う。それよりは昔のアメリカのガッディ対ウォード炎の三番勝負のような、日本なら畑山隆則対坂本博之のようなタイトルも何も懸かってなくてもワクワクするような(畑山対坂本戦は世界タイトルが懸かっていたが)火の噴くような打撃戦の方が必要である。リングに求められるのは結果よりもワクワクである。