今、今場所(2014年初場所)を見ながらこのブログを書いているのだが、最近幕内に上がって来た力士に貴ノ岩というモンゴル出身の関取がいる。この貴ノ岩という力士、親方が貴ノ花親方で貴ノ花部屋で一番最初の関取である(関取とは十両から上の力士で出世した力士に対する称号でもある)。
この貴ノ岩が貴ノ花部屋から第一号の関取になった訳であるが、貴ノ花部屋の創設が2004年で貴ノ岩が十両昇進したのが2012年と(いずれもWikipediaから参照)、天下の名横綱も親方となり指導者となって関取という一つの大きな結果を残すのに8年という歳月が必要だったのである。
貴ノ花と言えば19歳で幕内総合優勝をして本来なら日本酒を盃(さかづき)に入れて優勝の祝杯を挙げるところ、未成年の人間が公共の電波の前で飲酒は出来なかったようで烏龍茶で祝杯を挙げてライバルの曙に「烏龍茶で優勝を祝った力士は貴ノ花ぐらいなもの」と言わしめたぐらいの早咲きの力士であった(元々角界は中卒の力士も普通にいる世界で、出世する力士は早咲きが多い世界だが)。
しかしそんな貴ノ花も親方となって若い衆を面倒見て指導するとなると、現役の頃とは別の苦労があったのだろう。筆者(独眼鉄)のような凡人で庶民には想像つかない苦労があったのだろうが、もし貴ノ花親方に自身の19歳の初優勝と貴ノ岩の十両昇進のどちらが嬉しかったか聞いてみたい気もする。
一方で筆者が若い頃競技者としてやってきたボクシングという競技も同様である。名門ヨネクラジムの会長に「150年に一度の天才」と言われプロ転向、そして世界王者になった大橋秀行会長も1994年に引退後に横浜で自身のジムを持って(現役時代に宅建の資格も取得していた)ジム経営を始めたが、新人王から日本王者、東洋王者そして世界王者に至るまで現役時代から「切れ者」と言われた大橋会長でさえ2004年に川嶋勝重がWBC・SF級王者を獲得するまで10年の時間が必要だったのである。ボクシング界の末席を汚す者として言わせてもらえば、ジム創設から10年で世界王者というのはかなり早い(指導者としての)出世である。ボクシングも世界も各ジム合同の興行でボクシング協会がプロモーターライセンスを取得するまで試合を組み、自主興行できるようになったらなかなか買ってもらえない額のチケットを捌き(さばき)、勝ち目のないマッチメークも時には組み、それで初めて日本ランカーや日本王者がようやく生まれるのである。
相撲でもボクシングでもそうだが若い衆を指導するのは金も手間も掛かる。我慢もする。割が合わないと思われる仕事かも知れない。しかし野球の野村克也監督は「人を残すは上、仕事を残すは中、財を残すは下」といい、人間社会で最も重要なのは人を残すことであって貴ノ花親方も大橋会長も人を残すという意味では立派である。
この貴ノ岩が貴ノ花部屋から第一号の関取になった訳であるが、貴ノ花部屋の創設が2004年で貴ノ岩が十両昇進したのが2012年と(いずれもWikipediaから参照)、天下の名横綱も親方となり指導者となって関取という一つの大きな結果を残すのに8年という歳月が必要だったのである。
貴ノ花と言えば19歳で幕内総合優勝をして本来なら日本酒を盃(さかづき)に入れて優勝の祝杯を挙げるところ、未成年の人間が公共の電波の前で飲酒は出来なかったようで烏龍茶で祝杯を挙げてライバルの曙に「烏龍茶で優勝を祝った力士は貴ノ花ぐらいなもの」と言わしめたぐらいの早咲きの力士であった(元々角界は中卒の力士も普通にいる世界で、出世する力士は早咲きが多い世界だが)。
しかしそんな貴ノ花も親方となって若い衆を面倒見て指導するとなると、現役の頃とは別の苦労があったのだろう。筆者(独眼鉄)のような凡人で庶民には想像つかない苦労があったのだろうが、もし貴ノ花親方に自身の19歳の初優勝と貴ノ岩の十両昇進のどちらが嬉しかったか聞いてみたい気もする。
一方で筆者が若い頃競技者としてやってきたボクシングという競技も同様である。名門ヨネクラジムの会長に「150年に一度の天才」と言われプロ転向、そして世界王者になった大橋秀行会長も1994年に引退後に横浜で自身のジムを持って(現役時代に宅建の資格も取得していた)ジム経営を始めたが、新人王から日本王者、東洋王者そして世界王者に至るまで現役時代から「切れ者」と言われた大橋会長でさえ2004年に川嶋勝重がWBC・SF級王者を獲得するまで10年の時間が必要だったのである。ボクシング界の末席を汚す者として言わせてもらえば、ジム創設から10年で世界王者というのはかなり早い(指導者としての)出世である。ボクシングも世界も各ジム合同の興行でボクシング協会がプロモーターライセンスを取得するまで試合を組み、自主興行できるようになったらなかなか買ってもらえない額のチケットを捌き(さばき)、勝ち目のないマッチメークも時には組み、それで初めて日本ランカーや日本王者がようやく生まれるのである。
相撲でもボクシングでもそうだが若い衆を指導するのは金も手間も掛かる。我慢もする。割が合わないと思われる仕事かも知れない。しかし野球の野村克也監督は「人を残すは上、仕事を残すは中、財を残すは下」といい、人間社会で最も重要なのは人を残すことであって貴ノ花親方も大橋会長も人を残すという意味では立派である。