冒頭のタイトルを見て「何のこっちゃわからん」と思うだろうが、まあ聞いてもらいたい。

筆者(独眼鉄)も今年で年男(午年・36歳)となって長兄も結婚し2人の男の子を授かり(つまり筆者には2人の甥っ子がいる)、また他の同級生も年賀状で彼らの子供の成長を報告するようになって筆者もいい年になったことを痛感させられる。

筆者自身は一時期両親に対してものすごい跳ねっ返りだった時期もあったので、そのことを考えると猛省せざるを得ないがこうして自分もいい年になると子育てに関して考えさせられることがある。

筆者の家は基本的にファミコンとオートバイは禁止(特にオートバイは厳禁)という決まりがあって、特に子供の頃は子供ながらに「息苦しい」と思ったこともあったが、今この年齢になって思うと親の作った決まりは正しかった気がする(ゲームに関して言えば高校時代に家にパソコンが来て、筆者がゴルフゲームで廃人の一歩手前まで行ったことがあったので親の判断は正しかったと言える)。

若い頃は親の育児が鬱陶しい(うっとうしい)と思ったが1人暮らしをはじめて独立すると親はかなり自由にやらせてくれた感じはする。筆者は一時期本気でプロボクサーを目指した時期があったが、親は表面上は当然反対したもののかなりのサポートをしてくれた(月謝等は当然筆者が払ったが)。

ここまで長々と筆者の家の子育てに関して言って来たが、何が言いたいかと言えば「子育てとマッチメークに正解はない」ということである。うちの親にしても何でもかんでも反対して闇雲に厳格な家庭でも子供はグレていっただろうし、逆に甘やかされていると(筆者は相当甘やかされていたが)只の根性無しになってしまう。親は自分がやりたいことを我慢して色々良くしてくれているのは有難いことである。要はうちの親は飴と鞭の使い分けのバランスが巧みだったと思える。

こういうことを考えていると筆者がやっていたボクシングのマッチメークを思い出す。ボクシングという競技はジムの政治力にもよるが、ボクサーの陣営がある程度対戦相手を選べる特殊なスポーツである。よく某三兄弟のマッチメークがぬるいと言うが(筆者は彼らのマッチメークにどうこう言う気はないが)、世界の嘱望されたボクサーが対戦相手を大事に選ぶことは普通である。しかしずっとぬるい相手と戦っていてもメッキが剥がれるのは明白である。しかしよくボクシングのネットの掲示板で「毎試合強豪とガチの試合をやれ」と言えば選手が潰れてしまう。ここの飴と鞭の使い分けがジムの会長の手腕が問われるところである。

今回は子育てとマッチメークと言う相反する2つを取り上げたが、昨今何でもゼロサム的な白黒つけたがる風潮があるが、子供でもボクサーでも何かを育てるにはバランスも重要であり何が正解というものないのだと筆者は考える。