筆者(独眼鉄)もブログを書くようになって7ヶ月、このブログの暖簾(のれん)を守っていくために去年(2013年)も沢山の本を読んだ。元々ブログのネタ帳に値するノートは以前から持っていて、誰の為でも無く自分の思考を整理する為の受け皿としてネタを書いていた。

そしてこういうブログを書いていて一つ思うところがあった。今の時代ネットやメール・SNSが発達して人間同士のコミュ力(コミュりょく)、コミュ力を鍛えようという言葉が日本社会に氾濫しているが、ある人が他者に何かを伝える為にはコミュ力というより国語力の方が大切な感じがする。

筆者(独眼鉄)が読む週刊ベースボールの2011年の4月4日号で沖縄水産で全国準優勝して巨人でもプレーした大野倫(おおの・りん)氏が引退後自分が設立した野球のボーイズチームや大野氏自身が教育関係の仕事に就いていることもあって、高校時代の恩師である故・栽弘義先生が「大野。これからは国語力だ。今の子供達に物事を教える時に昔みたいに頭ごなしに何でも強制しては今の子は伸びない。自分の言葉で根気よく説得を続けて、その子らに自分からうまくなろうと思わせないといけない」と大野氏にアドバイスしたらしい。この言葉を聞いて流石に授業で実習授業が普通科に比べて多く、練習時間が確保しづらい水産高校の野球部で全国準優勝を果たした名将は本質眼のある言葉を言うものだと思った。

国語力の重要性と現代社会の子供の長所と短所を見極めた名将の言葉は心に響くものがあった。今の時代、コミュ力(コミュりょく)コミュ力と言うが、現代社会でコミュニケーションの能力を鍛えるには付け焼き刃の受験教育より国語力を鍛える方が良い(栽先生がいた頃の沖縄水産は国語力が鍛える場があったのだろうが)。なら国語力を鍛えるには何をすべきかと言うと読書をするのが一番だし、それが手っ取り早い。野球の指導でもそうだろうが、プロでもアマでもその指導者がどれだけ本を読んでいて指導する為の語彙(ごい)が豊富で、語彙が豊富なために説明のバリエーションが豊富な指導者は指導を受ける選手も自分(選手)の心に伝わるものがあるだろうから、先の栽先生が言うように「自分が上手くなろう」と自分で考えるから、結果的に自分が上達しチームも強くなり、選手もチームも出世していくのである。これは野球というスポーツのみならず他のスポーツにも共通して言えることである。スポーツと国語力に関してはまたいずれ機会を改めて自分(独眼鉄)の考えを述べたい。