今日も以前加入していたWOWOWのエキサイトマッチのボクシング中継の話であったが、アメリカのメジャータイトルでのタイトルマッチで王者がメキシコ人で挑戦者がアメリカ人であった。そして試合会場がアメリカはテキサス州サンアントニオ・アラモのアラモドームであった。自分はこの対戦の組み合わせでアラモで戦うと言うのを聞いて、アメリカが推進したグローバル化がここまで行き着く所まで着いたなと試合内容よりこの組み合わせにグローバル化の皮肉を感じた。

なぜそういうことを感じたのかと言うとテキサス州サンアントニオのアラモというのはアメリカ人とメキシコ人にとってそれぞれの国民のアイデンティティーに深く根差す場所だからである。

サンアントニオのアラモという所は元々テキサス州がアメリカの一部ではなく独立国(テキサス共和国)だった時、当時のメキシコの大統領であったサンタアナという男が領土欲と野心が強い男でテキサスをメキシコ領にしようとしたのである。そこでテキサス共和国側はアメリカに吸収されたいと考え、1835年テキサス共和国の兵士達はサンタアナ率いるメキシコ軍とその(前述のタイトルマッチがあった)アラモ砦で激突し、アラモ砦の兵士は全員戦死した。しかしその後サンタアナはアメリカ軍の捕虜に成り下がり、メキシコは払わなくていい釈放代金をアメリカ政府に払わざるを得なくなった。しかも1846年からアメリカとメキシコは国境問題から更に戦争は激化しアメリカ軍がメキシコ軍を撃破し、1849年がアメリカのポーク大統領がメキシコ側に、それまでのメキシコ領で今のアメリカ領であるカリフォルニア・ネバダ・ニューメキシコを1500万ドルでアメリカ政府が買い取り、アメリカに割譲する条約を結んだ(イダルゴ条約)。

この一連の歴史の流れでアラモ砦という所はアメリカ人にとっては砦にいた州兵が国土を文字通り死守するために国家に献身的な自己犠牲の精神のアイデンティティーを持たせ、メキシコ人にとってはアラモ砦は(というよりサンタアナは)器の小さな人間が身分不相応な野心や欲望を持つと文字通り身(領土)を切るような痛い目に遭うという戒めのようなメンタリティーを持った場所であった。

かなり長くなったがテキサス州サンアントニオのアラモ砦という所はアメリカとメキシコの両国にとって深いメンタリティーを構築した場所である。そこでアメリカ人とメキシコ人が格闘技の世界一を決める戦いを100年以上の歳月を掛けて雌雄を決するというのを見て(興行主サイドの考えもあったのだろうが)、試合内容以上にアメリカが推し進めたグローバル化が行き着く所まで来たと痛烈な皮肉のように感じた。

参考文献 アメリカのヒスパニック=ラティーノを知るための55章 大泉光一・牛島万 著 明石書店 2005年