先日、以前加盟していたWOWOWのボクシング中継の試合を見ていた。その試合はビックマッチのセミファイナルで関係者が期待する全勝ホープ対元世界ランカーのベテランとの潰し合いのような試合であった。

その試合で全勝ホープがスカッと勝つところが見たかったのだろうが、そうは問屋がおろさなかった。ベテランがそれまでのキャリアの経験値をフルに生かして、全勝ホープの突進をいなしてポイントを拾っていって試合終了のゴングを聞いた。

試合終了後、両者の顔の腫れや体力の消耗を見てベテランの方の勝ちは明白だった。しかし公式のジャッジは劣勢だった全勝ホープの勝ちにした。これにはその試合を見ていた観客もブーイングをリングに浴びせた。当のベテラン元世界ランカーは「これもボクシングだよ」というようなある種の諦めのような表情でリングを後にした。

この試合を見て改めて採点制競技の難しさを感じた。ボクシングの場合どちらかがKOで勝てれば何の問題もないのだが、KOまで行かず判定になると公式のジャッジに勝敗を委ねるのだが、この採点というのがまた厄介なものである。筆者(独眼鉄)はボクシングの世界に入って18年になるが未だに採点しながら見てても自分の採点に自信がない。去年の大晦日の内山高志対金子大樹戦も自分の採点は公式の採点と離れていた(人によっては見方によって採点に差が出るものだと言うが)。

ボクシングという競技が日本で野球やサッカーほどメジャーになれず、マイナーな競技に甘んじているのはこうした採点制競技で採点の基準が一見さんには不明瞭なところが理由の一つなのかも知れない。

ボクシングの世界もそうだが(他の競技をどうこう言うのも心苦しいが)体操競技やフィギュアスケートも採点制競技と言うのは、その競技の狭い世界で採点されていて「大衆」には分かりづらく、その競技に関わっている「少衆」「分衆」にしか採点の基準がわからないところが、その競技に関わっていて自分の競技をメジャーにしたい関係者がジレンマを抱えているところのように思える。メジャーな競技だと野球なら奪三振やホームラン、サッカーならゴールと分かり易い定義があった方が会場に来てくれた一見さんのお客様も最低限の満足はしてもらえるように思える。

話をボクシングに戻すが採点制競技というのはその採点基準を理解するのに、ある一定の時間と修練を必要とする。その競技を本当に自分が理解したいという人は別だが、一般の人は基準が分かり易い競技に流れるのが必然的である。そこに採点制競技のジレンマがある。