人間社会のなかでは(金八先生ではないが)「人」と「人」の間に人間は生きている。どれだけ人間は自由に生きていたいと思っても他者とのしがらみからは逃れられない一方で、他の人間との関係から感動や価値といった生産的なものを得ることができる。

のっけから(自分自身の非生産性を棚に上げて)柄にもなく教育論のような出だしになったが、筆者(独眼鉄)は別に誰がや何かを教育したいのではなく、人間と人間との関係性つまり「相性」について話したいのである。

筆者は一時WOWOWのボクシング番組EXCITE MATCH を見ていたが、2000年代というdecade(10年間)の主役であったフィリピンの英雄マニー・パッキャオの存在について感じたことがある。パッキャオというボクサーは元々(一度は世界王者にはなったがすぐ無冠になった)それほど将来性を嘱望されてアメリカのリングに上がったボクサーではなかった。たまたま西海岸に渡米後、ある世界タイトルマッチで挑戦者が怪我で試合出来なくなり代役でリングに上がり、そこでアイリッシュ系アメリカ人フレディ・ローチ(トレーナー)とタッグを組んで世界挑戦をして、代役からタイトルを戴冠したのである。そこからパッキャオのシンデレラストーリーが始まったのである。

パッキャオのシンデレラストーリーというのは、そっくりそのままフレディ・ローチのシンデレラストーリーであった。ローチはパッキャオの攻撃面でのテレフォンパンチ(バレバレのモーション)を修正して、パッキャオを東洋人の無名ボクサーから億のファイトマネーを稼げるスターに仕上げた。

当然無名の東洋人が世界的スターに大化けさせたトレーナーには入門希望者が殺到した。その中にキューバから亡命した五輪金メダリストのギジェルモ・リゴンドーというボクサーもいた。リゴンドーはアマチュアでは天才、選手の才能に並・上・特上があるなら、特上の特上というまさにボクシングをする為の男だった。

しかしリゴンドーというボクサーはキューバから(外国である)アメリカに来てから、アマチュアからプロ仕様のボクシングを覚えるだけでなく私生活までローチに依存しきっていた。その為周囲の関係者は「ローチはリゴンドーのベビーシッターではない」と揶揄され、結局2人は袂を分かちリゴンドーは別のアメリカ人トレーナーの下で世界王者になった。

ここで言いたいのは素質のある者同士がくっついても必ずしも上手くいくとは限らないということである。ローチの場合(野球の野村克也監督が阪神のような人気球団より、楽天やヤクルトのような弱小球団のほうが指導力を出す相性が良かったように)、彼自身がアマチュア五輪金メダリストのエリートをプロ仕様のボクサーにさせるよりパッキャオのような無名の東洋人のほうが指導力を多分に出し易かったように感じる。勿論ローチも他のアマチュアボクサーは指導できたし世界有数のトレーナーというのは理解できるが、食べ物にも鰻に梅干し・焼き魚に漬物が食い合わせが悪いように、指導者とエリートのアスリートにも相性のようなものがあるのである。


追伸 今年の筆者(独眼鉄)のブログはこれが最後です。2014年は(あくまで予定では)1月2日からと考えてます。それでは皆さま良いお年を。