先月、ある大手ボクシングジムを一代で築いた会長の半生を書いた本を読んだ。その会長曰く「自分(会長)はボクシングオタクでボクシング専門誌発売日の15日が楽しみだ」と自認していた会長であったが、その本を読んでいくうちに気になったことがあった。
そのジムの会長に限らず筆者(独眼鉄)もそうだったが、今の30代半ばぐらいまでのボクシングを志していた人間は皆(出世したかどうかは別にして)、毎月15日のボクシング専門誌2誌が発売されるまでボクシングの情報が全く入ってこなかったのである。あの当時ダメなボクシングオタクだった筆者(独眼鉄)は、少なくとも自分はバイト先の給料日よりボクシングの情報が入ってくる15日の方がある意味楽しみであった。
この感覚はボクシングファンという狭い世界の人間だけの現象だったのかというと、他の世界の人間も(給料日より重要だったのかはわからないが)先月サッカーマガジンが月刊化の時にサッカーライターのある雑誌の座談会で、「インターネットが発達する前は毎週(週刊時代の発売日だった)火曜日にならないとサッカーの情報が入ってこなかった。」と言っていたのを覚えている。おそらくスポーツの世界に限らず音楽やゲームの世界でも大なり小なり事情は同様であったであろう。
話をボクシングに戻すが、あの当時筆者の周囲の人間は「何故あいつ(独眼鉄)は似たような雑誌を2誌も買って、内容や試合結果も重複するだろうによくあれだけ同じ雑誌を穴が開く程読めるな。」と思っていただろう。当時ボクシング専門誌にも試合結果などの記録重視されていたボクシングマガジンと読み物として文学的な面白さのあるボクシングビート(旧ワールドボクシング)と同じボクシング専門誌にも微妙に内容に違いがあった。
しかしネットが発達したのと筆者(独眼鉄)のボクシング教原理主義者の放棄のような自分の中での価値観の多様化によって、今はボクシング専門誌は全く発売日には買っていない。もし見たい試合があっても重要な試合のマッチメークや試合の戦評、見たい試合のチケット代などほぼ全ての情報がネットで完結するのである。例えばボクシング専門誌の発売日に試合のスケジュール表を見ても「この日の○×ジムの興行でメインの選手の相手はフィリピンの選手が代理で来日し、その選手は先々月に日本ランカーと対戦し判定で負けた。」と専門誌の古い情報の前に先回りして既にネットで(しかもそれほど熱心に情報収集しなくても)リアルタイムの情報を知っているのである。
筆者のような30代半ばのおっさん世代の人間でさえネットでこれだけ情報収集できて情報過多になるので、いまの20代半ばから下の世代というのは「情報に飢える」という経験をしたことがないように感じる。そういう時代に今の世代の若者が情報収集に雑誌を利用するとは想像しづらい。ネットで情報が氾濫する時代の(しかもデフレでの)雑誌ビジネスは厳しいように思える。(雑誌ビジネスに関してはまた後に意見を述べたい)
そのジムの会長に限らず筆者(独眼鉄)もそうだったが、今の30代半ばぐらいまでのボクシングを志していた人間は皆(出世したかどうかは別にして)、毎月15日のボクシング専門誌2誌が発売されるまでボクシングの情報が全く入ってこなかったのである。あの当時ダメなボクシングオタクだった筆者(独眼鉄)は、少なくとも自分はバイト先の給料日よりボクシングの情報が入ってくる15日の方がある意味楽しみであった。
この感覚はボクシングファンという狭い世界の人間だけの現象だったのかというと、他の世界の人間も(給料日より重要だったのかはわからないが)先月サッカーマガジンが月刊化の時にサッカーライターのある雑誌の座談会で、「インターネットが発達する前は毎週(週刊時代の発売日だった)火曜日にならないとサッカーの情報が入ってこなかった。」と言っていたのを覚えている。おそらくスポーツの世界に限らず音楽やゲームの世界でも大なり小なり事情は同様であったであろう。
話をボクシングに戻すが、あの当時筆者の周囲の人間は「何故あいつ(独眼鉄)は似たような雑誌を2誌も買って、内容や試合結果も重複するだろうによくあれだけ同じ雑誌を穴が開く程読めるな。」と思っていただろう。当時ボクシング専門誌にも試合結果などの記録重視されていたボクシングマガジンと読み物として文学的な面白さのあるボクシングビート(旧ワールドボクシング)と同じボクシング専門誌にも微妙に内容に違いがあった。
しかしネットが発達したのと筆者(独眼鉄)のボクシング教原理主義者の放棄のような自分の中での価値観の多様化によって、今はボクシング専門誌は全く発売日には買っていない。もし見たい試合があっても重要な試合のマッチメークや試合の戦評、見たい試合のチケット代などほぼ全ての情報がネットで完結するのである。例えばボクシング専門誌の発売日に試合のスケジュール表を見ても「この日の○×ジムの興行でメインの選手の相手はフィリピンの選手が代理で来日し、その選手は先々月に日本ランカーと対戦し判定で負けた。」と専門誌の古い情報の前に先回りして既にネットで(しかもそれほど熱心に情報収集しなくても)リアルタイムの情報を知っているのである。
筆者のような30代半ばのおっさん世代の人間でさえネットでこれだけ情報収集できて情報過多になるので、いまの20代半ばから下の世代というのは「情報に飢える」という経験をしたことがないように感じる。そういう時代に今の世代の若者が情報収集に雑誌を利用するとは想像しづらい。ネットで情報が氾濫する時代の(しかもデフレでの)雑誌ビジネスは厳しいように思える。(雑誌ビジネスに関してはまた後に意見を述べたい)