今年の9月にバングラデシュの雇用について書いたが、今回は(何の脈絡がないが)南米エクアドルの雇用について考える所があるので考えて見ようと思う。

「エクアドルを知るための60章」(新木秀和編著 明石書店 2006年)でエクアドルの雇用モデルが世界中の研究者やNPOから注目されているという。

そのエクアドルで注目されている街はサリナスという街であるがこの街は失業率が低く、貧困から抜け出す新たな雇用モデルとして関心が集まっている。

元々このサリナスという街は土地も痩せていて農業に適しておらず、街の働き手は(エクアドルの大都市である)グアヤキルや首都のキトに出稼ぎに出てそのために街には女や子供老人しかおらず、そこの子供の45%は非識字になるという過疎化の街である意味じり貧なという所であった。

その街に1971年イタリア人神父アントニオ・ポロがこの街にやってきて貧困対策を行った。このサリナスという街は前述のように土地が痩せていて農業そのものは無理であったが、牧草は生えていた。その為神父は無償で乳牛を提供してもらい1978年この街にチーズ工場を設立した。イタリアの資本を用い技術はボランティアであった。乳牛からミルクを取り工場にミルクを売ることによって、街の人間の現金収入が得られるようになった。街に現金収入が入るようになって、出稼ぎに行っていた人間もサリナスに帰ってきた。ミルクから作られるチーズも最初は売る相手も限定されていたが再びヨーロッパからの融資でサリナスブランドが確立され流通されて、街の人は何らかの形でチーズ工場に関する仕事に従事するようになった。

このチーズ工場の成功によってサリナスは次の手を打った。エクアドルは赤道直下の国であるが標高差があるために多様な植物が存在し、それがサリナスを助けた。サリナスは近隣の街から有機栽培の果物を買いジャム工場を作ってジャムを製造した。またピーナッツや蜂蜜でお菓子作りも始めた。

又ジャム工場でジャムを製造する時の廃棄物が豚の飼料になるので養豚も始めて、ハムやソーセージも手掛けるようになった。他にもチョコレートも南米原産のカカオを原材料の製造から加工梱包まで全部南米で行うことができた。

こうして見るとサリナスの雇用モデルというのは「あるもの探し」からスタートしている。街に現金収入が入ることにより地元の文化を軽視せずむしろ誇りに思い、街の公共サービス(病院や学校)も充実するようになった。

勿論商品開発やノウハウの取得には多大な苦労と挫折もあっただろうし、課題は今もあるのであろう。しかし人間社会において雇用が確保されて現金収入を自らの手で獲得することによって、その個人の尊厳が保たれるのは重要である。アイルランドの劇作家ジョージ・バーナード・ショーは「有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。」といったが、日本社会でも「製造業は中国を中心としたアジアにコストで対抗できない」とか「資金が集まらない」など講釈をする輩は多いが、まず自分たちのできることから始めることの重要性をサリナスは教えてくれた。