世の中には色んな立身出世の在り方がある。方や勉学の世界で身を立てるものもいれば運動で身を立てるものもいる。今回はその立身出世の仕方と競争率について考えたい。
ざっくりと考えて、勉強の最高峰が東大とする一方でスポーツの最高峰をプロ野球選手とする。何かの本で「勉強が得意な子は東大、スポーツが得意な子はプロ野球選手。」とあったが、東大生とプロ野球選手というそれぞれのエリートは同じぐらいの生存競争なのか。東大生とプロ野球選手はそれぞれ同格なのか?
否。違う。東大生とプロ野球選手は同格ではない。以前ラジオで落語家のヨネスケさんも言っていたが「プロ野球選手を東大生と同じに扱うな。プロ野球選手は東大生より厳しい生存競争を勝ち抜いている。」と言っていた。
まず東大生というのは毎年約3000人ぐらい生まれるものである。男女差別する気は毛頭ないが、女性がプロ野球選手になるというのは非現実的なので、今回女子の東大生を削除して半分を削り3000÷2=1500で男子の東大生は1500人ということになる。
一方プロ野球選手というのは支配下選手というのが決まっていて基本的に一球団に所属できる選手は決まっている。毎年12球団にドラフトで入団できる選手は一球団8人として12×8=96人と約100人いくかいかないかぐらいである。最近は育成枠で何人か例外にドラフトとは別に年俸300万円ぐらいで入団できる選手もいるが、それを合わせても毎年合計150人ぐらいである。
1500人と150人。どちらが厳しい生存競争の下に晒されているかは明白である。世の中の情報で東大生とプロ野球選手を同格に扱う人がいるが、今までのこれらの説明を読んでくれたらプロ野球選手というのが東大生より文字通り「桁外れ」の生存競争を生き抜いたサバイバーなことがわかる。誤解されたくないが、勿論東大の全てを否定したい訳ではない。ただ東大生とプロ野球選手が同格だという世の中の説明が、言葉は悪いが詭弁になっていると言いたいのである。
筆者(独眼鉄)は東大にはかすりもしない大学だったがそれを卑下したい訳でもないが、ただ世の中の情報を見ていて何故プロ野球選手は東大生よりはるかに熾烈な生存競争を勝ち抜いているのに、東大生と同格に扱っているのかが疑問であった。小林至みたいに東大からプロ野球選手に入団できる人はまた別だが、本来プロ野球選手というのは相当厳しい世界なのである。世の中の情報で本質的ではないことを指摘したかっただけである。
ざっくりと考えて、勉強の最高峰が東大とする一方でスポーツの最高峰をプロ野球選手とする。何かの本で「勉強が得意な子は東大、スポーツが得意な子はプロ野球選手。」とあったが、東大生とプロ野球選手というそれぞれのエリートは同じぐらいの生存競争なのか。東大生とプロ野球選手はそれぞれ同格なのか?
否。違う。東大生とプロ野球選手は同格ではない。以前ラジオで落語家のヨネスケさんも言っていたが「プロ野球選手を東大生と同じに扱うな。プロ野球選手は東大生より厳しい生存競争を勝ち抜いている。」と言っていた。
まず東大生というのは毎年約3000人ぐらい生まれるものである。男女差別する気は毛頭ないが、女性がプロ野球選手になるというのは非現実的なので、今回女子の東大生を削除して半分を削り3000÷2=1500で男子の東大生は1500人ということになる。
一方プロ野球選手というのは支配下選手というのが決まっていて基本的に一球団に所属できる選手は決まっている。毎年12球団にドラフトで入団できる選手は一球団8人として12×8=96人と約100人いくかいかないかぐらいである。最近は育成枠で何人か例外にドラフトとは別に年俸300万円ぐらいで入団できる選手もいるが、それを合わせても毎年合計150人ぐらいである。
1500人と150人。どちらが厳しい生存競争の下に晒されているかは明白である。世の中の情報で東大生とプロ野球選手を同格に扱う人がいるが、今までのこれらの説明を読んでくれたらプロ野球選手というのが東大生より文字通り「桁外れ」の生存競争を生き抜いたサバイバーなことがわかる。誤解されたくないが、勿論東大の全てを否定したい訳ではない。ただ東大生とプロ野球選手が同格だという世の中の説明が、言葉は悪いが詭弁になっていると言いたいのである。
筆者(独眼鉄)は東大にはかすりもしない大学だったがそれを卑下したい訳でもないが、ただ世の中の情報を見ていて何故プロ野球選手は東大生よりはるかに熾烈な生存競争を勝ち抜いているのに、東大生と同格に扱っているのかが疑問であった。小林至みたいに東大からプロ野球選手に入団できる人はまた別だが、本来プロ野球選手というのは相当厳しい世界なのである。世の中の情報で本質的ではないことを指摘したかっただけである。