筆者(独眼鉄)は今までこのブログでスポーツビジネスの事を中心に述べてきて、これまではアメリカのスポーツビジネスの表の部分しか言って来なかったが、一見先駆的に進んで見えるアメリカのスポーツビジネスも実は幾多の失敗を糧にして成長してきた世界なのである。それを今回は言いたい。

以前にも言った事だがアメリカのスポーツも最初から上手くいっていた訳ではない。アメリカのスポーツ界で最初の挫折は1919年のシカゴホワイトソックスのワールドシリーズの八百長事件、所謂「ブラックソックス事件」である。それまでアメリカにとって野球という娯楽はナショナルパスタイム(国民的娯楽)であった絶対的なイベントだったのが、一般市民にとって野球離れをさせる原因となったのである。また1960~1970年代のMLBの名打者ピート・ローズの自身が所属するチームを賭博の対象とした問題で彼はMLBから永久追放と野球殿堂入り拒否となった問題も存在した。

また八百長ではなくとも1994年のMLBの年俸の問題からのストライキでアメリカ国内の野球人気の凋落もあり(そこから野球WBCによる野球の国際化の動きがあった)、また1995年から2003年頃のMLBではステロイドによる禁止薬物での肉体改造問題も深刻化していた時期もあった(後のメジャー競技のドーピング検査に発展する)。MLBも国民的娯楽を収益が計算できるビジネスにできたのも長い時間をかけての試行錯誤があったからに他ならない。

試行錯誤があったのは野球だけではない。他の競技も同様である。1967年に始まったアメリカのプロサッカーリーグのNASLも一時期のJリーグではないが、ペレやベッケンバウアーと言った世界的な名プレーヤーがアメリカのクラブに入団したが、アメリカ人がアメリカのプロスポーツに求めるのは「アメリカ人のヒーロー」であり、出稼ぎ外国人ばかりのサッカーリーグはファン離れが進み、やがて自然消滅していった。

こうして見てみるとアメリカの先駆的なスポーツビジネスの進化というのも見方を変えれば試行錯誤の繰り返しだったことがわかる。近年日本もJリーグが日本のサッカー文化として普及していったが、こうしてアメリカのスポーツビジネスを見てきて参考にできる所はあるように感じる。アメリカのスポーツビジネスも日本のそれも進化は現在進行形であるように筆者(独眼鉄)は思える。

参考文献 Sport Management Review 2008 vol.9 プロスポーツの未来予想図

WBCの内幕 日本球界を開国した人々 コータ著 WAVE出版 2009年

メジャー野球の経営学 大坪正則著 集英社新書 2002年

雑誌Number 824・825号 追憶の90's 文藝春秋 2013年